特別ではなくても、大きなことでなくても、ともに生きるための役割を持ち寄る――『ライフ・ウィズ・ミュージック』が気付かせてくれること

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、世界的なシンガー・ソングライターのシーアが監督を務め、第78回ゴールデン・グローブ賞コメディ/ミュージカル部門の作品賞とケイト・ハドソンが女優賞にノミネートされた『ライフ・ウィズ・ミュージック』('21)だ。

 孤独を抱える主人公、自閉症の妹、そして近隣の住人たちの姿を通し、SDGsの「目標11:住み続けられるまちづくりを」を考えます。

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(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

子どもの頃の記憶の中にある、ざらりとした感触の「引っかかり」

 時折ふとよみがってくる、子どもの頃の記憶の中に、近所にあった団地とその裏の土手の風景がある。暑い夏、その土手で来る日も来る日も草むしりをしている、当時の私には30代くらいに見えた、がっしりとした体格の男性がいた。とにかく黙々と、ひとりではとても終わらないであろう敷地にしゃがみ込み、手作業を続けているのだ。

 ある時、ふと自転車を止めて、その男性を何げなく見ていると、団地の住人らしい老人が、男性を指差しながら話しかけてきた。「よくやってるでしょう? いや、“これでみんなの役に立てるんだぞ”っていうと、あいつ喜んでいつまででもやってるんだよ。あいつ〇〇だからな」。彼は笑っていた。

 私がその時、その老人にどう反応したのかは覚えていない。彼にとっては何げない「冗談」のつもりの言葉だったかもしれない。ただ、老人の目に浮かぶ、子どもにも分かるようなあざけりの色は記憶に刻まれている。その「〇〇」という言葉が、知的障害のある方をさげすんで使われるものであると知ったのは、後になってからだ。

 程なくして私は引っ越し、団地の存在は遠ざかった。けれどもあの日のことは、心のどこかに引っかき傷のように残っていた。あの時、私はどんな言葉を返すべきだったのだろうか。私にどんなことができただろうか、と。

 もしかするとこうした、ざらりとした感触の「引っかかり」は、多かれ少なかれ、誰しもが経験してきたことかもしれない。あの老人のさげすみとまではいかなくても、日常の至るところに、無意識の差別はあふれている。それを目の当たりにし、うまく反応できなかったり、軽く受け流してしまったり……そんなことに後ろめたさを感じたことはないだろうか。一方で、「かわいそう」「助けて“あげる”」という上から目線もまた、相手をひとりの人間として見ることから遠ざけているように思う。

観終わった後、もう一度思い返したのが、ミュージックを見守っていたひとりの少年のこと

ライフ・ウィズ・ミュージック』は、そんな「目線」の在り方について、改めて考えることになった映画だった。メガホンを握ったのは、ステージで素顔を見せない“顔なきポップスター”としても知られるシンガー・ソングライターのシーアだ。彼女の初監督作品となるこの映画は、シーア自身の実体験ももとにしているという。

 アルコール依存症のリハビリテーションプログラムを受けている主人公ズー(ケイト・ハドソン)は、家族と距離を置いて生きてきた。母親が異なる妹のミュージック(マディ・ジーグラー)は祖母と2人で暮らしていたが、ある日突然祖母が倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまう。知らせを受けたズーは、長らく会っていなかったミュージックとともに生活することになった。自閉症のミュージックには、毎日繰り返す「日課」があった。朝起きて、祖母に卵2つの目玉焼きを作ってもらい、髪を3つ編みに結ってもらう。外に出て、売店の男性から犬の写真の切り抜きをもらう。図書館にたどり着き、いつもの場所で大好きな犬の本を開く――。

 変化に敏感なミュージックは、この生活リズムが少しでも乱れると、時にパニックに陥ってしまう。途方に暮れていたズーに話しかけてきたのは、同じアパートの住人のエボ(レスリー・オドム・ジュニア)だった。日々ミュージックに声をかけていたエボは、彼女がどのように世界を認知しているのか、丁寧にズーに語り、「知る」ことでズー自身も少しずつ落ち着きを取り戻していく。優しく姉妹と接するエボだが、心の奥底に誰にも開けずにいる扉があった。そこに、あふれそうな悲しみが押し込められていることを、ミュージックは敏感に感じ取っていた。そんな登場人物たちの内面を、カラフルで表現豊かなMVが、随所で立体的に表現してくれる。

 観終わった後、もう一度思い返したのが、ミュージックを見守っていたひとりの少年フェリックス(ベト・カルビロ)のことだった。どうやら養子としてアジア系のご夫婦に引き取られたらしい彼は、暴力的な父にいつもさげすまれ、おびえながら暮らしていた。親たちに勧められたのか、ボクシング・ジムに通っていたものの、本当はダンスに憧れていた。

 彼がどんな人生を歩んできたのか、その細部は描かれていない。言葉を発する場面もない。最後まで名乗らず、そして誰からも名前の呼ばれない存在だった。けれども陰ながら、ミュージックが無事に図書館にたどり着き、そして家に戻るまでを優しく見守る、なくてはならない存在だった。そんな彼の歩みを、本当はもっと、見ていたかった。

 SDGsの「目標11:住み続けられるまちづくりを」には、「女性、子ども、高齢者及び障害者を含め、人々に安全で包摂的かつ利用が容易な緑地や公共スペースへの普遍的アクセスを提供」が掲げられている。「普遍的アクセス」のために、インフラを整えておくことも重要ではあるが、私があの団地で出会った老人の言葉のようなものが飛び交っていては、こうした空間は実現できないだろう。その場の安心安全は、少年フェリックスの行動のように、誰からも気付かれもしない、ささやかな支えによって成り立っているのかもしれない。「引っかかり」を覚えたあの言葉に、今からでもあらがえることがあるのだとすれば、特別ではなくても、大きなことではなくても、ともに生きるための役割を持ち寄ることではないだろうか。

安田菜津紀さんプロフ220304~
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