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イラストレーター・信濃八太郎が行く 【単館映画館、あちらこちら】 〜「川越スカラ座」(埼玉・川越市)〜

名画や良作を上映し続けている全国の映画館を、WOWOWシネマ「W座からの招待状」でおなじみのイラストレーター、信濃八太郎が訪問。それぞれの町と各映画館の関係や歴史を紹介する、映画ファンなら絶対に見逃せないオリジナル番組「W座を訪ねて~信濃八太郎が行く~」。noteでは、番組では伝え切れなかった想いを文と絵で綴る信濃による書き下ろしエッセイをお届けします。今回は、2020年に埼玉・川越市にある「川越スカラ座」を訪れた時の思い出を綴ります。

文・絵=信濃八太郎

原田治先生との思い出

 2020年8月、今回訪ねるのは川越の町だ。
 川越出身の画家に小村雪岱がいる。雪岱を教えてくれたのもまた原田治先生だった。先生との思い出を綴ったシネ・ピピア(兵庫・宝塚)編と重なるところがあるのですが、少しお付き合いください。

 「自分の絵ってなんだろう」と悩んでいた頃、イラストレーターを育てる学校、パレットクラブのスタッフをさせてもらっていた。いま振り返って思うと、生徒として通っていた時よりも、よほど学びの多い時間だった気がする。
 講師と生徒とのやりとりを、スタッフとして教室の一番後ろで客観的に聞いていると、教える側の講師は、絵よりもその「人」を見ていることに気づく。俯いてうまく答えられない人の絵にも、あっけらかんと明るく答える人の絵にも、その人がその絵を描く意味や理由がどこかに必ず表れる。それを探って、一人ひとりに必要な言葉をかけていく。

 なるほど「絵は人なり」とよく言われるけれど、そういうことなのか。それではいったいどういう人になりたいんだ? と、ここでまた自問自答が始まるのだけれど、取り繕って振る舞ってみてもボロが出るだけ。とにかく描くことでしか越えられないんだなということも同時に理解できた。
 校舎は築地場外市場の一隅、オサムグッズで有名なイラストレーター原田治先生のご実家があった場所に建つ。最後に鍵をかけるのが原田先生だったので、必然的にあれこれお話しする時間を得ることができた。

 「気に入った映画があったら全編コマ送りで観てごらん。日常と違って、映画の画面に映ってるもので意味のないものなんて一つもないんだから。全てに作り手の意図がある。家具やコップなどの調度品にしたって、どうしてこれなんだろう、どうしてこの位置に映っているんだろうと、一コマごとに考えながら観ていくことは、絵を描く上でとても勉強になるよ」

 また「映画はイラストレーターにとって一番身近な教科書」と仰って、先生のコレクションのなかから、ソウル・バスやPicturemillがデザインした、映画が本編に入る前のタイトルシーンのみを集中して観る機会も作ってくださった。冒頭からいきなり映画の世界観に没入させる魔法のような映像の数々を続けて見ていく。こういう形でグラフィックデザイナーが映画に関わることもあるのかと感心して見入ったものだ。
 原田先生には、いま自分が映画を観る上での楽しみ方の物差しを作っていただいたと思っている。

 夏が近づく一日、先生が小さな額箱を抱えて現れた。季節ごとに変わるバーカウンターの壁に新たな絵が掛けられる。暗闇のなか、小さな光に手を差し伸ばしている美しい浴衣姿の女性の木版画。誰の絵なんだろう。

 「え、知らない? これはコムラセッタイの『蛍』という作品だよ。涼やかでいいよね」

 その日、コムラセッタイが小村雪岱で、川越出身の画家であり、泉鏡花をはじめとした作家たちの著作を美しく彩る装幀家で挿絵画家でもあることを教えていただいた。先生のコレクションから雪岱作品をたくさん拝見した。圧倒的な美しさに触れて帰り道にはすっかり心も晴れやか、絵について考えすぎてチンプンカンプンになっていた頭から、ガスが抜けたような気分だった。

 川越行きの電車に揺られながらそんな遠い日のことを思い出していた。川越には雪岱の作品を多数収蔵している川越市立美術館がある。こんな時じゃないとなかなか寄れないので調べてみると、8月のその日、ちょうど『小村雪岱とゆかりの人々』という展覧会をやっていることを知り、早めに出かけることにした。

映画にも登場する“昭和”の雰囲気を残した映画館

 東京から川越までは1時間。川越駅で美術館に行きたい旨を伝えたところ、川越06の東武バスに乗り「川越氷川神社前」バス停で降りることを教えてもらう。夏の盛り、平日午前中にもかかわらずバスはどうしてか若いカップルでとても混み合っていた。浴衣姿の女性も多く、雪岱の絵と重なる。
 暑い日で、車窓から見える空の青さが東京とまったく違っていた。青だけじゃなく、木々の緑も、古くから残る町並みも、全てがくっきりと際立って目に映る。色が飛び込んでくるようだ。

 15分ほど走ったところで目的のバス停に着いた。カップルたちも残らず降りる。一瞬「え、みんな雪岱展見にきたのかな?」と、混雑ぶりを想像してヒヤッとしたが、なんてことはない、バスを降りると皆、吸い込まれるように川越氷川神社に入っていった。夏祭りでもあるのかしら。

 目当ての雪岱展には誰もおらず、静けさのなかじっくり作品と向き合うことができた。髪の毛一本まで緊張感のある線、白黒二階調によるグラフィカルな構図は雪岱調の大きな特徴だけれど、鉛筆による下描きが見られたのは大きな収穫だった。あの美しい形を作るまでにあれこれ思案した様子がよくわかり、時代を超え、描かれたその日の生々しさが伝わってきた。

 美術館を出ると、先ほどまでの快晴が嘘のように、空は曇天に覆われている。遠くで雷の音が鳴った。こりゃやばいなと、傘も持たずに来たことを悔やむ間もなく、雨が降り始めた。慌てて駆け出したものの、少し離れた映画館までたどり着く頃には汗と雨が合わさってびしょ濡れになってしまった。出がけに暑さ対策のつもりで着替えを一組、バッグに入れてきて良かった。

 外の様子を心配して出てきたのは、今日お話しくださる川越スカラ座支配人の舟橋かずひろさんだ。ご挨拶の第一声が「初めまして。あの、ちょっと着替えさせてもらってよろしいでしょうか…」というなんとも情けないものになってしまった。
 「どうぞ。劇場のなかをお使いください」
 舟橋さんが笑顔で扉を開けてくださると、後方に据えられた大きな空調から出る冷風に乗って、どこか懐かしい、子どもの頃遊んだ夏の日の体育館のような匂いがする気がして、嬉しくなって思いきり吸い込んだ。

 川越旧市街は、駅から離れているものの、だからこそそのまま残った古い町並みが観光名所となっている。スカラ座はその中心にある。

 川越スカラ座には明治38年(1905年)開業の寄席、一力亭から始まる長い歴史があり、そこから数えると2020年の今年でなんと115年になるという。最古の映画館のひとつだ。115年前、新しい娯楽の場の誕生に皆どれだけワクワクしたことだろう。ここには城下町として栄えた当時の町並みがいまだ残っているだけに、人の世の移り変わりを想わずにはいられない。百年後の川越に暮らす人々は、百年前の「今」をどう振り返っているんだろうか。

 その後、1940年に松竹の封切館として映画館となり、1963年に現在の「川越スカラ座」という名称となった。舟橋さん曰く「洋画のスカラ座」として長らく地元の人々に愛されてきたが、当時の支配人のご高齢により2007年には閉館を余儀なくされることとなる。

 しかし町に唯一残った映画館をなくすわけにはいかないと、川越に生まれ育った舟橋さんや地元の仲間たちがNPO法人を組織し、市民に呼びかけ資金を集め、閉館から三ヶ月後には再び営業が再開された。そのスピードに驚く。

 「ここは子どもの頃から通っていた、思い出の詰まった場所なんです。社会人になって都内で働いてたんですが、川越に戻ってきたとき、たまたま友人がこちらの運営に関わっていて、それが縁で自分も夜の空いた時間に借りて仲間と上映会をやらせてもらったりと、再び出入りするようになりました。
 川越スカラ座は、この町の人にとっては誰でも何かしらの思い出のある場所。どうにか継続したかったんです。僕が子どもの頃はこことホームラン劇場と二館あって、洋画ならスカラ座、邦画ならホームラン劇場、毎週末、友達たちと一緒にどちらかの映画館で遊んでました」

 スピルバーグか藤子不二雄か。ジャッキー・チェンか東映まんがまつりか。舟橋さんも僕も同じ世代で、似たような時期に、親とでなく友達たちと映画館に出かける楽しさを知ったわけだ。そして舟橋さんは今でもその頃の仲間たちと一緒に、今では支配人として、かつての自分たちの遊び場だった場所を守っている。

 疎遠になってしまった幼なじみたちの顔が浮かんできて、歴史ある川越ならではの町と人との繋がり方が、心底羨ましくなった。ここはまるで大きなタイムマシンじゃないか。

 昭和の雰囲気を色濃く残したレトロな館内の佇まいは「これぞ映画館」といった趣で、山田洋次監督『キネマの神様』(’21)や、井筒和幸監督『無頼』(’20)、タナダユキ監督『浜の朝日の嘘つきどもと』(’21)などの作品のロケ地として、映画にも登場している。

“スカラ座の怪人”

 現在の上映作品は、舟橋さんたち映画好きなスタッフが選ぶため、メジャー作からマイナー作まで、独自のプログラムで年間百本近くの作品が観られるという。トークイベントや特集上映会なども頻繁に行われているため、ロビー壁面には、先の監督たちはじめ「W座」でも取り扱わせていただく是枝裕和監督や沖田修一監督、お亡くなりになられた大林宣彦監督や、また映画評論家の町山智浩さんなど、来館されたさまざまな映画関係者のサイン色紙が壁一面に飾られていて圧巻だった。

 「トークイベントなどで一度来ていただくと、皆さん“子どもの頃こんな映画館で観ていた!”と言って喜んでくださり、新作が出来るたびにリピートしてご来館くださって本当にありがたいですね。大林監督は、僕らがNPOを立ち上げる前にやっていたシンポジウムの時から参加してくださっていて、ずっと応援してくれていました。来ると必ず二時間以上もお話しくださって...」

 いつまでも立ち去り難く、ずっとここにいたくなる。長い年月のなかでゆっくりと醸成された時間、空気が劇場に溢れている。

 「僕らはスカラ座の怪人って呼んでるんですよ」舟橋さんがニヤリと笑いながら天井を指差す。
 「スカラ座の怪人はこのどこかにいて、僕らはただそれに動かされているだけなんじゃないかって。

 下水管が詰まってしまって修理のための募金を開始したらすぐに埼玉版の新聞が取り上げてくれたり、フィルム生産が終わってデジタル化に移行する際にも、DCP映写機の購入に必要な資金を、クラウドファンディングであっという間に集めることができました」

 困難に直面するたび、スカラ座の怪人に何度も助けられてきた。怪人は、映画を、そしてこの映画館を愛する人たちの想いの化身なのかもしれない。先人が繋いでくれたバトンを受け取って、今、自分がこの場所にいる。

 劇場から一歩外に出ると、若い人たちがたくさん歩いている。ほとんどが観光客のようだ。皆おいしそうな飲み物や食べ物を片手に風情ある町並みを楽しんでいる。このコースにスカラ座を入れる人たちはいないのだろうか。

 「そうなってくれると良いんですけどね。デートで川越に来るような若い人たちはあまり映画館には来てくれませんね。いま高校生はワンコインの500円で観てもらえるように設定しているんですよ。家で見るのとは全く違う劇場体験をしてもらえたら、また大人になっても戻ってきてくれると思うから」

 話の流れで舟橋さんに朝のバスの話をしてみたところ、川越氷川神社は恋愛成就のご利益があることで有名なスポットなのだそうだ。カップルたちが全員吸い込まれていったのはそういう訳だったのか。

 川越スカラ座にもなにか撮影スポットなど作って、ここで映画を観た二人は幸せになれる恋愛成就の名所と謳えば良いんじゃないかと思ったけれど、そんなことを始めるとスカラ座の怪人がどこかへ行ってしまうかもしれない。いや、それとも映画を愛するこの怪人だったら、恋愛くらい簡単に成就させてくれたりして。

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