夢中で映画を観ていたあの頃のように――担当者が明かす「吹替補完版」への想い《Vol.1》
取材・文=村山章
偶然の会話から生まれた「吹替補完プロジェクト」
――地上波TVでの映画放送で育った世代にはとてもうれしい企画ですが、冨永さんはいつ頃から関わっていらっしゃいますか?
冨永「自分は2019年にWOWOWに入社して、映画部に配属になったんです。最初に担当したのが、メジャースタジオから購入する映画について、字幕や吹替の素材を集めて、当社で放送できるフォーマットに整えていく作業でした。当初は『補完版』ではなく、通常の劇場公開版の吹替素材を扱っていたんです。自分がこの『吹替補完版』に携わったのは去年の10、11月くらいからですね。担当した作品に、ノーカットの吹替版が存在しなかったので、小野に相談したところ、『これは追加収録しよう!』という話になったのが、最初でした」
――そもそも「吹替補完版」という企画が生まれたきっかけは何だったんでしょう?
小野「だいぶ前の話になりますが、エイドリアン・ライン監督の『危険な情事』(’87)という映画をメジャースタジオから買い付けてきたんです。字幕版だけを放送するのか、それとも吹替版も放送するのかは、編成部(現・コンテンツ戦略部)と映画部で協議しながら決めているんですが、その時に『危険な情事』については『字幕版だけの放送にする』と映画部の方から言ったんですね。すると編成部にいた当時の担当者から、『これは吹替版もぜひやりたい』と要望を受けたんです。
その時は『吹替音源はない』と返事をしたんですが、その担当者は『そんなはずはない、間違いなく吹替版で観ている』と言うんです。でもそれは、地上波の放送枠に合わせてカットされているもので。地上波の映画は、90分強の放送枠に合わせて編集されているんですが、WOWOWでは開局当初からの看板として、“映画はCMなし・ノーカットで放送”という方針でやってきた。だから『地上波の吹替版は放送できない』と説明して、いったんその話は終わりました。
でも、ずっとそのやり取りは頭に残っていました。その後、クリント・イーストウッド主演の『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』(’66)を収録したDVD-BOXが発売されまして、イーストウッドの吹替は山田康雄さん(故人)なんですが、地上波用のために欠落していた部分を、多田野曜平さんという声優さんが追加収録したバージョンが入っていた。それで『この手があったか!』と気付いたんです」
――つまりDVDメーカーに触発されたということですか?
小野「そうですね。私の世代だと、1980年代に10代を過ごして、映画は地上波TVの映画の放送枠で観るものだったんです。それからVHSビデオが普及し始めて、字幕で観るように切り替わるその境目にいました。だから字幕版を借りてきて、イーストウッド本人の声で観てみたら、山田康雄さんの遊び心のある演技ではないっていうことに気付いたんです(笑)。それからなんとなく、日本語の吹替版の演出というものにも想いが及ぶようになりました。WOWOWでも、自分が観てきたような時代の吹替版と同じことをやりたいと思ったんです」
「吹替版」という独特の“文化”
――当時の地上波の吹替版は、わりと原語から離れて自由な演技や演出をしていた作品が多かったですよね。
小野「そうなんです。2012年の5月に『ダーティハリー』シリーズの5作品(’71~’88)を一挙放送できることになり、第5作はノーカットの吹替音源があると分かったんですが、他の4作品はカットされた地上波バージョンしかないようだったんです。そこで、前述のマカロニウエスタンの夕陽シリーズ三部作(※)のDVD-BOXが『吹替完声版』と銘打ってリリースされていたことを思い出して、WOWOWでも同じようなことを継続的に打ち出してやっていきたいと思いました。企画書を提出したら当時の編成局長と編成部長がとても面白がってくれて、やれることになったんです」
――WOWOWさんが始まった時は、ノーカット字幕放送を売りにされていたと思うんですが、吹替版も放送するようになったきっかけはあったんでしょうか?
小野「おっしゃる通り、開局当初は映画ファン、映画マニアに向けたチャンネルとして出発していました。その頃は字幕版、ノーカット、できる限りノートリミングでお届けしようとしていたんです。ただ、大ヒットタイトルについては吹替版も放送していました。例えば『タイタニック』(’97)や、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ、『スター・ウォーズ』シリーズ。また、子どもも観るであろうファミリー作品に限って、吹替版も放送していたんですが、2011年の10月にWOWOWが3チャンネル化したことが一番大きかったと思います。
【WOWOWシネマ】というチャンネルは、コアな映画ユーザーに向けて字幕版で映画をお届けするのが基本なんですが、WOWOWのチャンネルを選択すると最初に表示されるのは【WOWOWプライム】というチャンネルで、そこはライトなお客さまも観るであろうことから、気軽に楽しめるように吹替版を中心に編成していこうと考えたんです」
――同じ手間を掛けるなら、オリジナルの吹替音源をゼロから作るやり方もあったと思うんですが、やはりかつての地上波の吹替版のイメージを守りたいお気持ちが強かったんでしょうか?
小野「はい。どうしても自分が一番吹替版で映画に親しんだ時代の、ちょっと懐かしいものをもう一度皆さんで楽しみませんか、というのが企画のコンセプトの根っこにありますね。WOWOWとしてはゼロから吹替版を作ることも、例外的にはやっているんですが、あの時代の多くの人がなじんで観ていた吹替バージョンを、ノーカット版でWOWOWでご覧になりませんかというご提案です」
――冨永さんは2019年に映画部に配属されたとのことですが、吹替文化になじみはありましたか?
冨永「地上波の吹替版が盛んだったのは1980年代から90年代の半ば頃くらいだったかと思うんですが、自分の年齢的には正直なところあまりなじみはありませんね…。幼い頃に両親がテレビで観ていて、なんとなく楽しそうだなと思っていた記憶はありますが、さすがに小学校の低学年か就学前くらいなので、ぼんやりとしか覚えてないんです。
僕自身映画が好きで、本格的にエンターテインメントに関わる仕事がしたいと思い始めたのは中学校を卒業するくらいでしたが、そのころはDVDが一般的になっていて、テレビの地上波で吹替版の映画を放送する本数もどんどん減っていました。DVDに収録されている吹替版と、昔地上波で放送された時の声優さんが違っていることも、この仕事をするまでは理解していませんでした。本当に吹替文化に対しては素人だったので、一から勉強して理解するところから始まった感じですね」
小野「補足をすると、冨永はアメリカの大学を出ているので、そういう意味でも字幕派だったんじゃないかと思います」
冨永「そうですね。なるべく英語で聞いた方が語学の勉強になるというのもあって、吹替版はほとんど観ていませんでしたね。昔は単純に、吹替版のことを日本語で理解しやすくしたバージョンくらいにしか認識していませんでした。恥ずかしながら、『字幕版で観られるなら字幕版で観た方がいいに決まってる』くらいに、かなり偏った見方をしていました(笑)。
でも実際に地上波で放送された吹替版を観ていると、まったく違ったセリフになっていたり、日本語独特のアドリブを入れていたり、映像自体は本国と同じでも、オリジナルとはまた別の、ひとつの作品を作っていこうという意思がすごく感じられて、独立した文化なんだなという印象は強く受けました」
時代を超えて「補完版」を作る難しさ
――昔の吹替版に追加収録する際に、声優さんだけでなく、台本を書いた翻訳者や、担当した演出家さんがいらっしゃいますよね。「補完版」では同じ人が担当するんでしょうか?
小野「同じ方の場合もあれば、違う方の場合もありますね。30年以上たってから追加収録することも多いので、翻訳者の方が現役でない場合や、ご存命でないこともありますので。
ただ、昔の吹替版にはいろんな演出の跡があるんです。例えば『ダーティハリー』だと、原音ではハリーでの階級は“Inspector”なんですが、当時の吹替版では“警部”になっている。でもサンフランシスコ市警の“Inspector”はどうやら平の刑事らしいんですね。それを“警部”にしたのは、どうもその方がかっこいいでしょ、くらいの話らしくて(笑)。
『補完版』を作る時には、それを原音に沿って訳すのか、昔を踏襲して“警部”と呼ぶのかで議論が起きたりもしました。その時はやっぱり原音に向き合おうということで、ひとつの作品の中で揺れが発生してしまいました。昔の吹替の“警部”というセリフだけ直しましょうかという話も出たんですが、そこはもとの吹替を尊重しましたね。矛盾が起きることになっても、原音のセリフも当時の吹替音源も、両方とも尊重していくことにしました」
――「補完版」のラインナップは、吹替の音源が手に入りそうなものから選んでいるんでしょうか? それともどうしても放送したい作品が先にあって、吹替版を探し始めるんでしょうか?
冨永「出発点は、作品ありきだと思っています。その上でノーカットの吹替が存在していないと気付いた時に、社内で協議して、追加収録が決まったところで本格的に過去の吹替素材を捜索し始める感じです」
小野「そうですね。この作品の吹替音源にカットされた箇所があるから放送権を購入しようみたいな判断はしてないですね。放送権を購入して吹替版を制作しようとなった時に、ソフトのノーカット版の方がいい場合もありますし。地上波のバージョンの方がお客さまに望まれていると判断して初めて、追加収録をしようという流れが多いですね」
――過去にはシルヴェスター・スタローンの主演作も「補完版」で放送されていますが、スタローンの声優であれば羽佐間道夫さんとささきいさおさんという2大巨塔がいらっしゃいます。どうやって声優を決めていらっしゃいますか?
小野「やはりシリーズごと、作品ごとに、どちらによりなじみがあるのかなと毎回迷いながら決めています。世代によっても違うでしょうが、『ロッキー』(’76)に近い役のときは羽佐間さん、『ランボー』(’82)に近いときはささきさんだろうというイメージはあります。例えばトラウトマン大佐に何かを叫ぶ時のランボーの声は、やっぱりささきさんなんじゃないかと(笑)。
『デッドフォール』(’89)では、地上波の日曜洋画劇場ではささきさんだったんですが、DVDでは玄田哲章さんが演じられていたんです。ただ玄田さんの声って、やっぱり僕らの中ではアーノルド・シュワルツェネッガーなんですね。『デッドフォール』は羽佐間さんがやられてなかったという事情もありましたが、これはささきさんの声でやるべきだよねという判断になりました」
――そういった声のイメージみたいな話になると、若い世代の冨永さんにはピンとこないのでは?
冨永「今のロッキーとランボーの違いみたいな話になると、自分の中には当時の記憶や思い入れがないので、まずは小野に相談しますね。その上で自分でもネットで調べて、当時からいろんなバージョンをご覧になっている方の声を拾っていくんですが、『このシュワルツェネッガーは玄田さんでないと!』みたいな気持ちは、ほぼ皆さん一致してるんですね。お客さまの感覚をリサーチしながら、どのバージョンが親しまれているのか、希少価値が高いのはどれなのかを勉強するようにしています」
小野「先ほどの『ランボー』の話になりますと、『1』と『2』については、ささきさんの声でノーカットの吹替版が存在していたんですが、『3』だけノーカットのものがなかったんです。そうなると『3』を追加収録して、ささきさんの声でコンプリートしたいという欲望が出てきますよね。それが後になって、メーカーさんにWOWOWの音源をお渡ししてDVDに収録していただいたこともあります」