『余命10年』の坂口健太郎に、彼自身が持つ“人間力”を痛感する

映画ライターSYOさんによる連載「 #やさしい映画論 」。SYOさんならではの「優しい」目線で誰が読んでも心地よい「易しい」コラム。『余命10年』('22)で難病を患う恋人を支える男性を説得力十分に演じた坂口健太郎の魅力を紐解きます。

文=SYO @SyoCinema

 俳優はさまざまな人物を演じる職業だが、その中でも“器”である本人の人柄を感じさせる瞬間は往々にしてあるものだ。善人がはまる俳優だったり、あるいはそれを逆手にとって極悪人を演じさせてみることでギャップを狙ったり――。パブリック・イメージは本人にとってつえにもかせにもなり、どう付き合っていくかでキャリアが構築されていく。

 坂口健太郎においては、本人の人間性がにじみ出るような好青年を多く演じてきた。常識人であり、他者の痛みを想像できる人物で、思慮深さがあって……。『64 -ロクヨン-』2部作('16)や『予告犯』('15)などなど、濃いキャラクターがひしめく作品の中でストッパーとしての役割を任されることが多いのも、大いにうなずける。『俺物語!!』('15)やドラマ「東京タラレバ娘」('17)では一見クールキャラだが、中身は人間性豊かな人物に扮し、自己中心的な青年を演じた「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」('16)も役の本音がこぼれ出す瞬間が大きな見どころだった。

 岡田准一と共演した最新映画『ヘルドッグス』('22)が話題を集めた一因には、好青年のイメージがある坂口が暴力衝動に際限がない“サイコ・ボーイ”を演じるという、新鮮さが寄与していることだろう。ただ、本作で扮した室岡は複雑な境遇によってそんな性格に“なってしまった”キャラクターであり、坂口自身も「純粋無垢むくな人物」と評している。とすると、彼がこれまでに演じてきた人物たちからは「逸脱していない」、と考えられる。境遇によってヒーローとヴィランに分かれるように、ベースは血の通った人間であり、坂口はそんな性善説に基づいた人物がよく似合う。

 そんな坂口健太郎の特性が発揮されたのが、興行収入30億円突破の大ヒットを記録した小松菜奈とのW主演作『余命10年』だ。難病により、余命10年と告げられた女性がどんな人生を送ったのか、そのきらめきを家族や友人、恋人の関係を軸に美しい映像で切り取った本作。『新聞記者』('19)や『ヤクザと家族 The Family』('21)などで知られる若手実力派、藤井道人監督のエモーショナルな映像センスと堅実な人物描写が光るこの映画で、坂口は茉莉(小松菜奈)の同級生の和人に扮している。

 本作が劇映画である以上、登場人物には役割が付加されている。和人は茉莉に「生きたい」と思わせる存在であり、ドラマを切なく盛り上げる任を担っている。彼が魅力的であればあるほど茉莉の悲劇性が際立つし、観客も「幸せになってほしいのに……」と思わずにはいられなくなるわけだ。どうしたって悲しい結末が待ち受けている題材で、その部分をいかに“あざとくなく見せていくか”で可否が決まるが、藤井組は地に足の着いたリアリティにこだわった。

 撮影に1年間をかけて四季を切り取り、茉莉が体感する“時間”を2時間で観客が追体験できるようにしたり(コロナ禍で中止・制限された花火大会などのイベントを盛り込むことで、観客に少しでも日常を思い出させるという狙いもあったという)、冒頭から傷病手当金の話をしたり、傷をしっかりと見せたり、画面にきっちり暗さを入れ込んだり…と、必要以上に美化することなく茉莉の日常を紡いでいく。
 病気というセンシティブな題材を選ぶ以上(そしてこの疲弊した時代において)、“エモさ”だけを抽出した演出は逆に形骸化を引き起こし、観客が鼻白んでしまいかねない。その点本作は、細部に至るまでケアが行き届いている。

 それは演技においても同様で、茉莉も和人も市井の人々として映し出しており、小松と坂口のささやかな(そう見えるように隅々まで配慮が行き届いた)演技がなんとも心地よい。和人も茉莉を支えるだけの便利屋的なポジションではなく、むしろその逆。出会った当初は精神的に不安定で、茉莉に叱咤しったされるという人物だ。その彼が“再生”していくことで、今度は茉莉を支え続けようと変わっていく様が美しい。
 これはいわば、和人の人生もきっちりと描写されているということ。その道程で茉莉に出会い、共に歩んでいきたいと“自分で”決めたという流れがあることで、説得力が付加される。茉莉を引き立たせるための「装置」とは訳が違うのだ。

 とはいえ、藤井監督の得意技の一つでもある「点描」演出(断片的なシーンを連続させる)を駆使しても、和人という人間が茉莉に出会うまでに歩んできたすべてを描けるわけではない。そこで効いてくるのが、冒頭に述べた坂口の思慮深さだ。彼が和人として立つことで、せりふにはない部分での人間的な厚み――肉体から発される情報に、役の歴史が醸し出されている状態が観客に伝達され、「描かれない過去」が見えてくるようになる。これはある種、俳優の人生を役に転用するような方法論といえるが、それが違和感なく成立するのはやはり坂口健太郎自身の誠実さであろう。本作の撮影中には減量中の小松をおもんぱかり、彼女の前で食事を取らないようにしていたという逸話もあるほどだ。

 俳優本人が徳を積んできたからこそ、ひたむきに生きる人物を演じた時の“深み”が違う――。『余命10年』は、坂口健太郎の人間力を改めて痛感させられる一作となった。

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クレジット:©2022映画「余命10年」製作委員会

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