核兵器が再び現実の脅威として突きつけられている今、考える――人の声には、世界を数センチずつでも、着実に前に進める力があるはずなのだ

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っています。
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくありません。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、われわれは映画からさらに多くのことを学ぶことができるはず。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる「観て、学ぶ。映画の中にあるSDGs」。映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイです。

文=安田菜津紀 @NatsukiYasuda

 今回取り上げるのは、太平洋戦争中、日本で実際に進められていた“原爆研究”を基にした『映画 太陽の子』('21)。

 若き研究者たちは葛藤しながらも、「この研究で戦争が止められるかもしれない」と実験に邁進した。核兵器が再び現実の脅威として突きつけられている今の社会に何を投げかけるのか。SDGsの「目標16:平和と公正をすべての人に」と共に考えたい。

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(SDGsが掲げる17の目標の中からピックアップ)

核兵器廃絶へ新たな一歩を踏み出した世界は逆走してしまうのか?

「現代のロシアは、ソビエトが崩壊した後も、最強の核保有国の1つだ」「我が国を攻撃すれば、悲惨な結果になる」。淡々と演説するロシアのウラジーミル・プーチン大統領の姿を画面越しに見ながら、背筋にぞわりと寒気が走る。

 ウクライナへの軍事侵攻に踏み切ったプーチン大統領の、核兵器を引き合いに出した威嚇。凍りつきながらも、「まさか核兵器まで使いはしないだろう」と思いたかった。一方で、2022年2月24日以前は「そんな理屈に合わないことはしないだろう」と、ロシアの侵攻の可能性に否定的な専門家もいたことを思い返す。けれども軍事侵攻は開始された。「ひろしまレポート2022年版」で発表された2021年における世界にある核兵器1万3,080発のうち、ロシアが最も多く、6,255発を保有している。核兵器が存在している限り、それが使われない保証などどこにもない。

 侵攻直後、私は被爆証言を続けてきた和田征子(わだ・まさこ)さんにお話を伺った。和田さんは1943年に長崎で生まれ、原爆が投下された当時は1歳10カ月だった。直後の筆舌に尽くしがたい被害の記憶がない自分が、原爆や戦争について語っていいのか、躊躇することもあったという。けれども被害の実態などを知るほどに、「語らなければならない」との思いを強め、母から聞いた体験などを伝えてきた。

 和田さんは「今ロシアが掲げているのは“大義”ではなく、“野望”にしかすぎません」と厳しく批判する。

 多くの被爆者が、心をえぐられるような記憶を呼び起こしながら証言を続け、それは核兵器禁止条約が成立する原動力となってきた。2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効したこの条約に、ロシアをはじめとした核保有国は加わっていない。それでも世界が核兵器廃絶に向け、新たな一歩を踏み出した証だった。

「核兵器禁止条約ができたとき、長い間叩き続けてきた重い鉄の扉が、ぎいっと音を立ててようやく開いた、という思いだったんです。被爆者は“生きていてよかった”と、本当に喜び合いました」。ところが、と和田さんは続ける。「その扉の内側をのぞいてみると、そこにあったのは巨大な軍事化や、日々開発される新たな兵器でした。被爆者1人1人が語り続けてきた小さな声は、プーチン大統領には届いていないのか、あまりにもか細い声だったのか、と暗澹たる思いです。国際社会にも、核兵器の非人道性を改めて知ってほしいと思います」

 核兵器禁止条約は、戦争被爆国である日本も加わっていない。改めて廃絶に舵を切り直さなければならない局面で、「核共有」、「核シェア」という軽い響きの言葉と共に、世界が進もうとしてきた方角から逆走しようとする動きさえある。

核と核を突きつけ合いながら、「実際に使用していないからこれが平和だ」という“まやかし”

映画 太陽の子』は、太平洋戦争中の日本で核兵器開発が進められていた実話を基にした作品だ。京都帝国大学でその研究に取り組んだ科学者グループがモデルになっている。

 そのグループに若手研究者として参加し、実験に打ち込む兄の石村修(柳楽優弥)、苛烈な戦場へと送り出される弟の裕之(三浦春馬)、空襲による延焼を防ぐために家が打ち壊され、同居することになった幼馴染みの朝倉世津(有村架純)――じわじわと日常を締めつける戦争の影を前に、繊細な心の揺れ動きを描く。

「勝った勝った」と勇ましい「報道」を続ける日本のメディアとは対照的に、研究室で聴き入るアメリカのラジオは、過酷な沖縄の戦況を伝えていた。

 若手科学者たちは葛藤する。このまま成果の出ない研究を続けていいのか、自分たちも武器を手に、戦場へ出るべき時ではないのか――助教授である木戸貴一(三浦誠己)は、そんな彼らを諫める。

「(核兵器開発を)我々がやらなくても、アメリカがやる。アメリカがやらなければソビエトが造る」

 そして、その言葉通りになってしまった。広島に、最初の原爆が落とされた。そして、次に落とされるのは京都だという噂が広がる。

 日本の原子物理学の第一人者である荒勝文策教授(國村隼)に、修はこう告げる。「もし次の原子核爆弾がこの京都に使われるのであれば、その一部始終を観察したい」。「これは実験です。ウランの核分裂反応が京都の町及び人間に与える影響の実験と観察……」。

 常日頃、冷静に言葉を紡ぐ荒勝教授も、この時ばかりは面食らった様子だった。修は一体何を言っているのか? 「アメリカに研究で負けた」という悔しさゆえなのか? 科学を一心に追究するあまり、何かに取り憑かれてしまったのか? 広島の惨状を見てなお、こんなことができるのか? 母の石村フミ(田中裕子)も同じ思いだった。

「恐ろしいことを言わはるな。家族だけ逃がして、自分は見物するやなんて。科学者とはそんなに偉いんか」

 愕然とした表情のまま、けれども毅然と、フミはこう告げる。

「私はここを動かん。それが科学者の息子を持った母親の責任や」

 修は緑豊かな比叡山の上で、京都の町を見下ろし、カメラを構え、持ってきたおにぎりを食べ始める。片手には収まりきれないあのおにぎりは、母のフミがいつも作っていたものだろう。一口、一口食べ進めるうちに、修は「正気」を取り戻していく。次第に涙が溢れ、今度は無我夢中で山を駆け下り、そして――。

 修たちの生きた時代から既に80年近くが経ち、果たして世界は「正気」を取り戻しただろうか。

 あの当時、既に日本の敗戦は目に見えていた。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員の川崎哲(かわさき・あきら)さんは、著書『核兵器はなくせる』(岩波ジュニア新書)でこうつづっている。

「現在、歴史や核問題の専門家の間では、アメリカが原爆を投下した真の理由は、後の世界で優位に立つために、その力を誇示したかったからだという見方が主流です」

「優位に立つため」に核を振りかざす国家が、今の世界になお、存在する。

 映画の中で、科学者が兵器を作ることについて問われた時、荒勝教授は熱を込めて語った。戦争が始まるのはエネルギーを奪い合うからだ、核分裂をコントロールし、そのエネルギーを自由に使えるようになったら、エネルギー問題は解決し、戦争はなくなるはずだ、世界は変えられる、と。

 教授自身は、そしてその言葉を信じ研究に打ち込んだ科学者たちは、今の世界情勢を見て何を思うだろうか。

 現在存在する核兵器を合わせれば、世界を何度でも滅亡させることができるほどの威力があるという。今のこの世界は、核と核を突きつけ合いながら、「実際に使用していないからこれが平和だ」という“まやかし”で成り立っているようにすら思う。

 ただ、絶望し、立ち止まってはいられない。SDGsの「目標16:平和と公正をすべての人に」には、「2030年までに、違法な資金及び武器の取引を大幅に減少させ、奪われた財産の回復及び返還を強化し、あらゆる形態の組織犯罪を根絶する。」とある。核兵器禁止条約ができたことで、「核は違法」となった。例え核兵器保有国の参加に時間がかかろうとも、加盟国が増え、輪が広がれば、おのずとそれは非加盟国へのプレッシャーとなる。また、この条約ができたことで、「核兵器開発を進める企業とは取引しない」という銀行が増え、資金面でもじわじわと変化が生じている。

 被爆者の和田さんは、「政府を動かすのは、こうした市民の力」と語った。絶望に打ちひしがれる前に、核兵器禁止条約ができた過程を思い返したい。人の声には、世界を数センチずつでも、着実に前に進める力があるはずなのだ。

安田菜津紀さんプロフ220304~
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