菅田将暉×有村架純主演の『花束みたいな恋をした』は“超・共感型”の映画だ
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菅田将暉×有村架純主演の『花束みたいな恋をした』は“超・共感型”の映画だ

マガジン「映画のはなし シネピック」では、映画に造詣の深い書き手による深掘りコラムをお届け。今回は映画ライターのSYOさんが、2021年の日本映画界を代表するといえる『花束みたいな恋をした』について、W主演の菅田将暉×有村架純の魅力とともに紐解くコラムをお届けします。

文=SYO @SyoCinema

 2021年が始まって、すぐのこと。1本の映画がブームとなった。菅田将暉有村架純がW主演し、人気脚本家の坂元裕二が脚本を務めた土井裕泰監督作『花束みたいな恋をした』('21)だ。1月29日に封切られたこの映画は、なんと約半年間にも及ぶ異例のロングランを記録。リピーターが続出し、興行収入も40億円に迫るヒットとなった。

 「はな恋症候群」とでも呼ぶべきフォロワーを多数生み、ロケ地への“聖地巡礼”を行なうファンも後を絶たなかった本作。コロナ禍という明確な“逆境”をものともせず、同時期に公開された『ヤクザと家族 The Family』('21)や『すばらしき世界』('21)とともに日本映画豊作の年の流れを創り出した。その勢いは、その後の『空白』('21)や『由宇子の天秤』('20)に至るまで続いているといっていい。2021年の日本映画ブームの火付け役であり、普段そこまで映画館に足を運ばないライト層をも惹きつけた“オーラ”を有した映画、それが『花束みたいな恋をした』なのだ。

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 本作がかくも多くの人々に受け入れられた理由の一つは、ドラマ「カルテット」(’17)の監督:土井×脚本:坂元の黄金コンビによる「心当たりがありすぎる生活描写」にあるだろう。東京の明大前駅で終電を逃した大学生の男女が、始発までの時間を共に過ごす中で意気投合。やがて恋仲となった2人が歩む5年間が、固有名詞のオンパレードで描かれる。恋愛、就活、仕事…楽しい日々ばかりではない20代のリアルな姿に、自分の過去や現在を重ね合わせて想いを馳せる。いわば、観客が能動的に参加する“超・共感型”の映画だったのだ。

 このような特性を持つ映画は、俳優において必ずしもやりやすいものではない。むしろその逆で、人気俳優であればあるほどこれまでに積み上げてきたイメージに足元をすくわれ、必要不可欠な“生活臭”が失われてしまう。いわば、「スターが庶民を演じている」感が強くなりすぎ、役との乖離かいりが生じるのだ。一度そうなってしまうと、演技うんぬんではなく俳優の存在そのものが役の邪魔になり、観客においても作品世界への没入の妨げになってしまう。

 ただし、記録映像ではなく劇映画のため、観客を引き込む“華”は必要。その上で観賞者が自らをシンクロさせる親しみやすさ――ある種の“隙”を創り出さなければならない。奇跡的なバランス感覚が求められる中、主演を務めた菅田将暉と有村架純は、おのおのの才覚を遺憾なく発揮した。

 菅田将暉は、国内有数の売れっ子俳優でありながら、ラジオ番組「菅田将暉のオールナイトニッポン」でも垣間見られるように、スター然としたところがまるでない。デビュー時から今日まで、“庶民感”というか、“気のいい兄ちゃん”的な気安さを保ち続けているのだ。『共喰い』('13)では自分の中に流れるクズの父親の血におびえる屈折した主人公、『溺れるナイフ』('16)では気になる異性に唾をかけるエキセントリックな少年役、『ディストラクション・ベイビーズ』('16)では暴力衝動に身を任せる学生、『あゝ、荒野』('17)では少年院上がりのボクサーと過激な役を多く演じてきたが、そのイメージを引きずらないのは、彼個人が持つ“生活感”が安定しているからであろう。

 もちろん『生きてるだけで、愛。』('18)、『二重生活』('15)、『糸』('20)といったような“今を生きる市民”を演じる機会も多くあったが、やはりどこかに屈折した想いや、悲壮な運命を背負っている部分があった。それに対し『花束みたいな恋をした』で演じた青年・麦は、ただイラストを描くのが好きなよくいるカルチャー系男子。毒気も邪気もなく、恋人の絹(有村架純)との生活を守りたくて就職した結果、仕事に忙殺されて“分かったような大人”になってしまう。観客からすると「そうなってほしくない、でもそうなってしまうのが痛いほど分かる(自分や周囲もそうだったように)」見事なバランス感覚で、ひとりの青年に成り切っている。こういった菅田の、「フラットでいて、役と分かち難く結び付いている」献身的な演技には、惚れ惚れさせられる。役を自分に近づけていくのではなく、自分を役に近づけていくアプローチが光る名演といえるだろう。

 一方の有村架純は、多くの表現パターンを持つ俳優だ。会見などで見せる落ち着いたイメージ、『かぞくいろ -RAILWAYS わたしたちの出発-』『コーヒーが冷めないうちに』(共に'18)に通じるテーマ性を擬人化したポジション、『アイアムアヒーロー』('16)や『僕だけがいない街』('16)のような芯の強いキャラクター…。その場に応じて、自分の出力やカラーを変えられる技巧派といえる。

 その中で、彼女にしか出せないものがドラマ「有村架純の撮休」('20)や坂元と組んだドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」('16)で披露したような、てらいのない演技。ドラマ「コントが始まる」('21)の“ガチオタク”演技も絶妙だったが、意識的な不器用さをものの見事に表現している。これは公開中のドキュメンタリー映画『人と仕事』('21)や、ドラマから映画へと展開する『前科者』('22)にも通じ、“いい格好をしない”人間くささが、共感性につながっている。

 近年の有村は、意志を貫く人物を演じたとき、抜群に映えるように感じる。『花束みたいな恋をした』では、世間や世の理、他者に翻弄されながらも「私はこうしたい」「私はこういうのは好きじゃない」とはっきりとものを言う絹を、地に足の着いた演技でしっかりと魅せた。「役に合わせて自分を変えようとする」傾向が強かった彼女が、その高いプロ意識は変わらないにせよ、より伸び伸びと「信念のある人物」を演じるようになってきた“流れ”自体が、本作の絹に生きているようにも感じられる。絹というキャラクターは多くの観客にとって「分かりみが深い」ものになったのではないだろうか。

 こうした2人の演技が時に混ざり合い、時にぶつかり合うことで、『花束みたいな恋をした』は単なる映画を超えた「令和の恋愛映画のバイブル」となり、一大ムーブメントへと発展した。菅田と有村は、本番はもちろん、空き時間にも積極的にコミュニケーションを取り、役の親密度を形成していったという。そもそも、菅田がとある場で坂元と再会した(2人はドラマ「問題のあるレストラン」〈'15〉で組んでいる)際に、彼が「ラブ・ストーリーがやりたい」と語ったことが起用につながっているそうで、有村においては「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」での坂元との相性の良さ、『映画 ビリギャル』('15)で築き上げた土井監督との信頼関係が、根底に流れている。

 菅田と有村それぞれの歩みが、『花束みたいな恋をした』には集約されている。色とりどりの花を1本1本束ねていくように、作品を一つずつ積み上げた果てに、この奇跡のような傑作が生まれるに至ったのだ。

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SYOさんプロフ20211017~

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クレジット:©2021「花束みたいな恋をした」製作委員会

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