スピッツを追って、北の大地へ。【「優しいスピッツ」ライブレポート 第1回】
取材・文=栗本斉 @tabirhythm /撮影=田中聖太郎 @seitaro_tanaka
空気が透明だ。
空港に降り立った瞬間に、ふとそんなことを感じた。陽光が差す好天とはいえ、少し冷たい風に思わず上着のボタンを留める。でも、深呼吸してみると、その寒さもさほど気にならなくなった。遠くに見える木々は、すっかり絵の具を塗ったような鮮やかな秋色に彩られている。ついさっきまでまだ夏の名残のある東京にいたことがまるで幻だったかのように、北の大地は季節が先へと進んでいた。
10月のとある日に、スピッツが北海道の帯広に旅立つことをひそかに教えられた。しかも、特別な場所を舞台にセッションし、観客を入れずに映像を収録するという。それはスタジオ・ライブということなのか。無観客を選んだ理由は。そして、なぜ東京ではなく帯広まで行くのか。さまざまな疑問が頭の中をかすめたが、いずれにせよ彼らにとってこれまでにない出来事である、ということがスタッフの話から伝わってきた。“これまでにない”なんて言われたら、行くしかないではないか。
空港からタクシーに乗ると、すぐ目に飛び込んできたのは、牧場と畑が広がる平原だった。ところどころにシラカバの防風林が見えるが、基本的には見渡す限り障害物のない北海道の大地そのものだ。そして遠くには、すでに雪の冠が輝き始めた大雪山の山系が蜃気楼のように見え隠れしている。「これが十勝平野か」と見とれていると、タクシーの運転手さんが「このあたりでは小麦や、砂糖の原料になる甜菜を栽培しているんですよ」と教えてくれた。今はもう収穫が終わり、冬を越す準備の真っ最中のようだ。
スピッツと帯広の関係は、今さら言うまでもなくファンの方はよくご存知のはず。2019年に放送されたNHKの連続テレビ小説「なつぞら」の舞台になった場所であり、主題歌はスピッツの「優しいあの子」である。草野マサムネはこの曲を作るにあたって、実際に足を運んだ十勝の空からインスパイアされたという発言をしている。当時は帯広を含む十勝一帯では、「優しいあの子」があちらこちらから聞こえてきたそうだが、それだけ地元の人々に愛されている楽曲といえるだろう。
目的地に向かう前に、タクシーの運転手さんに教えてもらった真鍋庭園に立ち寄ることにした。なぜかというと「なつぞら」の撮影で使われた建物が残っているということを聞いたからだ。真っすぐな並木道沿いにあるエントランスからも、この歴史ある庭園は手入れが行き届いていることが伝わってくる。
足を踏み入れてみると、平日の朝だったからか晴天だというのに人もまばらだ。2万5,000坪という広大な敷地は、日本庭園、ヨーロッパガーデン、風景式庭園などいくつかのエリアに分かれていて、どこも木々や土の匂いがかすかに漂っている。そして何といっても紅葉の色彩が目にまぶしい。木漏れ日を浴びつつ、鳥のさえずりを聴き、リスたちが走り回る風景を見ていると、時間の流れ方が違うことを実感する。
「なつぞら」の名残は、庭園を一周して戻ってきたときに迎えてくれた。開拓時代の厳しさが伝わる簡素な「天陽の家」と、アトリエとして使われていた「天陽の馬小屋」の2つ。いずれもドラマの撮影時のままに保存されているのだという。こういうところからも、「なつぞら」が今も地元で愛されていることが伝わってくる。
(「天陽の家」)
(「天陽の馬小屋」には撮影時に使われた絵画も残されている)
さて、寄り道の後、最終目的地へとタクシーを走らせた。向かった先は、帯広駅から徒歩10分ほどのところにある旧双葉幼稚園。なぜ幼稚園に? と思うかもしれないが、こここそが今回スピッツの演奏するステージなのだ。幼稚園といっても、旧双葉幼稚園は類を見ない場所だ。明治44年に帯広市内で最初の幼稚園として誕生し、大正11年に園舎が完成。100回目の卒園式を終えた2013年に、幼稚園としての役目を終えて閉園したそうだ。そして、残された園舎は国の重要文化財指定を受けて、大切に保存されている。
タクシーを降りて、見上げた園舎の第一印象は、なんとも言い難い不思議な感覚だった。白い壁に赤い屋根の2トーンで、2階部分が丸いドーム型になっており、三角窓が屋根から突き出ている。普段日本で生活していると、まず見かけることのない独特の洋風建築だ。その姿だけでは幼稚園だとはまず分からないだろう。教会のようでもあるし、博物館にも見えてくる。どことなくかわいらしいたたずまいである一方で、時代の荒波をくぐり抜けてきた風格も感じられる。
周辺は住宅やちょっとした公園があるが、非常に閑静な一画だ。敷地の周辺を歩くと、カサカサと落ち葉を踏む音しか聞こえない。まるでヨーロッパの小さな町へテレポートしたかのような錯覚に陥る。スピッツが舞台に選んだ特別の場所、というのも納得のオーラを感じた。
正面の門から入ると、すでに大型の電源車が停まっており、音響機材と照明器具、そして撮影用カメラが多数運び込まれているところだった。スタッフも数十人はいるだろうか。人並みをかき分けるようにして、そっと建物の中に忍び込んでみた。古いげた箱が並ぶ玄関には、すでにムービー用のレールが敷いてある。そしてそこから見えた景色に、思わずあっと声を上げた。丸い屋根は2階ではなく吹き抜けになっていたからだ。
自然光が差し込む広いフロアは、まるで円形のホールのよう。そして、そのフロアにメンバーの楽器や機材が並んでいるのだが、見たことのないセッティングだった。全員がホールの中央を向くようにアンプやマイクが置かれているのだ。その瞬間に、出発前にプロデューサーから聞いた「ライブのようでライブではない」という謎解きのようなキーワードが頭をかすめた。せわしなく働くスタッフの姿と謎めいたセッティングをぼんやり眺めていると、またもや頭の中は疑問符だらけになってしまった。これから何が起こるのか。
周囲の雰囲気が少しずつ緊迫してきたのを感じたため、じゃまにならないようバックヤードに移動する。そこには、今回の監督を務める松居大悟監督をはじめ、撮影、音響、照明などのスタッフがすでにスタンバイしていた。中央にある大きなモニターは10分割になっており、各所にあるカメラの映像が確認できるようになっている。サウンドチェックやカメラリハーサルが終わり、あとは本番を待つのみ。
スタッフの出入りが激しくなったかと思うと「メンバー入ります!」の声が聞こえ、ついにスピッツの面々が現れた。例のメンバーが向き合う形のセッティングにつき、おのおの演奏の準備を始める。ライブ前のような緊張感はなく、メンバー同士が笑顔で会話をしながら、楽器やマイク位置を確認している。まるで、リハーサル・スタジオのようだな、とリラックスした彼らの様子を眺める。
しかし、松居監督の「じゃあ、本番始めます!」の一声で空気が変わった。
ピンと張り詰めた空気感。一瞬の沈黙。
そして、アタックの効いたドラムの響き―
時刻は午後2時。ついに、「優しいスピッツ a secret session in Obihiro」の幕が上がった。(続く)
※「真鍋庭園」の撮影は栗本斉
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