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イラストレーター・信濃八太郎が行く 【単館映画館、あちらこちら】 〜「Shimane Cinema ONOZAWA」(島根・益田)〜

名画や良作を上映し続けている全国の映画館を、WOWOWシネマ「W座からの招待状」でおなじみのイラストレーター、信濃八太郎が訪問。それぞれの町と各映画館の関係や歴史を紹介する、映画ファンなら絶対に見逃せないオリジナル番組「W座を訪ねて~信濃八太郎が行く~」。noteでは、番組では伝え切れなかった想いを文と絵で綴る信濃による書き下ろしエッセイをお届けします。今回は島根・益田の「Shimane Cinema ONOZAWA」を訪れた時の思い出を綴ります。

文・絵=信濃八太郎

島根・益田の新しい映画館へ

 今回訪ねるShimane Cinema ONOZAWAは、今年の1月にオープンしたばかりの新しい映画館である。かつてこの場所にあった映画館、デジタルシアター益田中央が2008年に閉館して以後、益田の人たちが映画館で映画を観るには、車などで何時間もかけて出かけていかねばならない状況が続いたという。
 そんななか、ご縁が繋がって、和田浩章さん更沙さんご夫妻が引き継ぐ形で、14年ぶりの新しい出発となった。

 取材に伺う前から浩章さん(と、少し慣れ慣れしいのですが呼ばせていただきます)のことは存じ上げていた。やはりこの番組で取材させていただいた東京田端にあるシネマ・チュプキ・タバタ(以下、チュプキ)をつくった平塚千穂子さんが、映画館オープンまでの経緯を綴ったご著書『夢のユニバーサルシアター』のなかで「一緒に映画館をつくらない?」と声をかけた相手として浩章さんのことを書かれていたからだ。

 この本には、視覚や聴覚に障がいのある人も、どんな人でも楽しめる映画館をつくろうと、何も持たないまっさらな状態から、試行錯誤しながら突き進んでいく平塚さんや浩章さんたちの奮闘ぶりが描かれている。当初「目の見えない人にも映画を伝えたい」と、ボランティア団体City Lightsを立ち上げるところから始まった活動は、15年後の2016年には日本初のユニバーサルシアターをつくるまでに至った。映画と関係なくても、自分でやってみたいことがある人が読めば、誰でも元気や勇気をもらえる本なので、今なにか目標のある方はぜひ読んでみてください。

 本のなかではまだ「20代の和田君」だった浩章さんがどうしてチュプキを離れてまた新たな映画館を、そしてまたどうして島根で立ち上げることになったのだろう。和田さんご夫妻と、まだ生まれて7ヶ月という奏多くんも一緒に笑顔で迎えてくださった。

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偶然のつながりが映画館をつくるきっかけに

 「人生において映画館を2館立ち上げる人もなかなかいませんよね(笑)。最初のきっかけはチュプキに、この映画館の創業者のひ孫さんが来てくれたことだったんです。島根県の益田でおじいちゃんがやっていた映画館をどうにかして残したいと相談されまして。妻の更沙が益田の出身で、幼い頃から映画を観に来ていた場所だということも聞かされ、そんな偶然の繋がりに、こんなことがあるのかととても驚きました」

 閉館してしまった益田の映画館の相談を、益田出身の更沙さんと結婚した浩章さんが、遥かかなたの東京の小さな映画館で受けるという不思議! 驚いて目を丸くしていたら、浩章さんの膝に抱かれた奏多くんが「だあ」とにっこり笑いかけてくれた。

 「この子ともう一人、いま三歳半になった娘がいるんですが、コロナ禍による緊急事態宣言の生活のなかでどこもすべて閉まってしまった頃、電動自転車に娘を乗せて、毎日いろんな公園を渡り歩いていました。公園くらいしか行けるところがなかったんです。
 ちょうど一年くらい前だったでしょうか、ようやく久しぶりに映画館が再開した時に、娘を連れて、ぼくがバリアフリー音声ガイドで携わらせていただいた『漁港の肉子ちゃん』('21)を観に行ったんですね」

 「まだ二歳半の娘が小学五年生が主人公の映画を面白く観るはずがないと、途中で出る覚悟だったのですが、ちゃんと最後まで観終わった後に、“おとうさん、えいが、すばらしかったね!”って言葉を発したんですよ。誰が教えたわけでもないのに“すばらしい”って。それがぼくにとってはものすごく大きな出来事でした。出かけていく場所があることの有り難さ、みんなで一緒に観ることの価値を改めて痛感したんです。それと同時に更沙の島根への想いということもあったよね」

 更沙さんが繋いでお話しくださる。
 「ここで生まれ育った当時は、映画館はありましたけど、それでもやっぱり本当に何もなくてつまらない場所だと思っていたんです。早く東京に、都会に行きたいって。大学で東京に出て卒業して働き始めて、東京生活を満喫してはいたのですが、帰省するたびに映画館がなくなっていたり、老舗の旅館がなくなったり、町の景色が変わっていくのが寂しくて。それじゃ私はこの町のために何ができるだろうって考えた時に、幼い頃に観た映画のことを思ったんです。大きなスクリーンでみんなで一緒に観られるような体験が、益田の人たちにもっと身近にあればいいなと思いまして」

 「とは言っても映画を仕事にしていたわけでもなく何も知らなかったので、まずはあちこちのイベントに参加することから始めました。そんななかで出会ったのが夫だったんです。島根に対する想いや、映画館がなくなってしまったことなどを話していたなかで、先ほどの、この映画館のひ孫さんとの出会いもあったりして、ご縁が繋がって今に至っています」

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 いま目の前にいる奏多くんが生まれてくるタイミングでもあり、浩章さんと更沙さんお二人で、これからの生き方をじっくり話し合ったのだそうだ。

 「チュプキ、そして平塚さんはぼくの映画人生をつくってくれました。本当に感謝しています。チュプキや映画への想い、そして島根の人たちへの想い、それに子どもたちのこれからのこと、どれもこぼさずできることはないか、そんななかで出会った今回の話でした。劇場の中を見せてもらった時に、閉館した当時のまますべてきれいに残っていて驚きました。スクリーンやスピーカー、アンプなどの機材もそのまま再利用できる状況で残されていたんです。閉館した後もいろんな方がこの場所を残すために尽力してこられたことを実感し、よし、ここで映画館をやろう! と一念発起して覚悟を決めました」

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ジェットコースターの日々の中で

 そうして昨年、2021年の6月に益田に引っ越してきた和田家。その二ヶ月後の8月には奏多くんが生まれ、更沙さんも二人のお子さんのことで手一杯である。翌年1月の開館まで、浩章さんの怒濤の日々が続いた。

 「本当にジェットコースターみたいな状況でした。今もそうですけれど(笑)。こないだまで娘と公園を探してた電動自転車に乗って、今度は自然豊かなこの町を走り回って協賛企業を募って。同時にクラウドファンディングも立ち上げて、本当にたくさんの方が協力してくださって、なんとか無事に開館を迎えることができました。地元の方たちのみならず、チュプキの平塚さんや、シネコヤさん、シネマネコさん、お隣の萩ツインシネマの柴田さんも力を貸してくださいました。憧れだった脚本家の渡辺あやさんからご寄付をいただいたのも感激でした。多くの方々のおかげで目標金額を達成できたんです」

 劇場入口扉のある壁一面の大きな壁画に、クラウドファンディングに参加してくださった方々、一人ひとりのお名前が絵の一部のように描かれている。

 「この壁画はぼくらが大好きな東京在住のアーティスト、清水美紅さんの作品です。面識もなかったのですがダメ元で連絡を取り、趣旨をお話ししましたらご快諾くださって。350名分のお名前も描いてくださいました。一人ひとりそれぞれのお名前から、清水さんが連想した花が描いてあるんです。一人に一輪。 すごいことですよね。ぼくらが知ってる方などはイメージがぴったり重なって驚きました。まだ映画館が始まって二ヶ月で、落ち込んだりすることも多々あるんですけれど、そんな時はこの壁画に助けてもらっています。アートの力って本当にすごいと思いますね」

 サッと見てしまってはうっかり見過ごしてしまいそうな繊細な情感が、一人ひとりに寄り添うようにこまやかに鮮やかに描き上げられている。清水さんはこの作品を描くためにまずは350名分の下描きを準備してきて、和田さんご夫妻に提案し、そこからなんと一週間泊まりこんで仕上げたとのこと。
更沙さんが言う。

 「毎日朝から夜までずっと描き続けてくださったんです。清水さんの想いをこの壁にいただけたということもとても励みになりました」

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 オープンしてからもたくさんの人たちが応援してくれている。
「先日、ウクライナ支援を目的に売り上げを全額寄付しますと『この世界の片隅に』('16)を上映したのですが、その時にも、それじゃあなたたち映画館が困るでしょ、とチケット代とは別でご寄付してくださる方がいたり、クラウドファンディングには参加出来なかったけどと、直接ご寄付くださる方がいらしたり」
 お二人の隠すところのないストレートな想いの表現が、きっと周りの人たちの心を動かすのだろう。

 お話を伺っている間も、奏多くんはずっとごきげんだった。お手伝いの方も入れずにすべてをお二人でやっているため、受付カウンターの横には奏多くん専用「ベビーベッド席」がある。この笑顔! 会った瞬間に心を掴まれてしまった。奏多くんをお目当てに来るお客さんもいるんじゃないんですか。

 「そうですね(笑)。よく、今日はいないの? とか、今日は起きてる!とか、大きくなったわねと、声をかけていただいてます」

 カウンターに三人の笑顔が並ぶと、謳うまでもなく、子どもにも誰にでも優しい映画館ということが伝わってくる。
 ぼくも子どもがまだ2、3歳の頃、映画館に連れていけないか何度か挑戦したけれど、いつも途中で席を立つことになった。ここだったらあまり気兼ねしないで連れて来られそうだ。

 「何よりうれしかったのが、こないだ『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』('21)を上映した時のことです」と浩章さん。

 「益田の子どもたちがたくさん観に来てくれて、初めて映画館で映画を観たっていう子が大勢いたんです。もちろん地域のすべての方々に映画文化を届けたいという気持ちですが、生きていて初めてのことって、当たり前ですけど一度きりじゃないですか。それをぼくたちが提供できたってことはとても嬉しかったんですよね」
 更沙さんも、「映画館でポップコーン食べるのが夢だったの! なんて言ってくれる子もいてね。そっか、その夢、今日叶ったんだ!って(笑)」

「映画は時体験」

 この日は休館日にもかかわらず、ぼく一人のために『高津川』('19)を上映してくださった。この作品は益田が舞台で、美しい自然や温かな町の人たち、そして歴史ある石見神楽の雄大な舞と、それを繋ぐ世代間の関わり合い方などが描かれている。
 放課後だろうか、夕暮れの光のなか「日本一美しい清流」と呼ばれている高津川に、みんなで飛び込んで笑い合っている子どもたちの姿には、なんともぜいたくで豊かな時間を感じた。映画館を出ればすぐこんな美しい風景が待っている。

 「関東から来たぼくからすれば、本当に宝物のような風景や町並みが残されています。驚いたのが各家の前に浄水槽があるんです。排水はここできれいにしてから流す。川を守り地域を美しくする活動が昔から当たり前のこととされている。この町には土壌として川を大切にする、人との繋がりや歴史を大切にする、そういうことが溢れているんですよね。映画館をきっかけに益田のことを知って、楽しんでいただければと思っています」

 お話のなかで浩章さんが「映画は時体験」とおっしゃったのがとても印象に残った。

 「映画館で観る映画は、始まったら読書のように自分のペースで進めることはできません。どんどん進んでいく時間の流れのなかで、記憶の扉が開かれて自分の心が変化する瞬間も、理解できないといった戸惑いや驚きも、全部のみこんで進んでいく。二時間だったら二時間の“時”を体験するのが映画館で映画を観るということなんです。だからこそ観終わったあとに、初めて誰かと自分の思いを語り合いたくなるんですよね」

 この映画館がこれから目指すところを更沙さんが話してくださった。
「映画って事前に調べたうえで観たい作品があって、それに合わせて時間を調べて出かけるっていうのが普通だと思うんですけれど、今日時間があるし、これからちょっと行ってみようかしらと、何も知らずに来てくれたお客さんがその時たまたまやっていた映画を観て、全然知らなかったけどめっちゃ良かったわ!って喜んでくださるような、そんな映画館になれたら最高だよねって話してるんです」

 浩章さんが「モナ・リザを知って観にいくか、知らずにモナ・リザと出会うかの世界ですね(笑)」

 なんとも素敵な言葉だ。まさに今日の『高津川』がぼくにとってそんな作品になった。舞台となった町の劇場で味わうというぜいたくな二時間。

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 劇中でも描かれていたけれど、この町で育った若い人は「何もない」と出て行き、逆に都会から「ここにしかないもの」を求めてこの町に来る新しい人たちもいる。更沙さんのように一度飛び出してみて初めて気づくこともあるだろう。パンフレットに寄せられた『高津川』監督錦織良成さんの、島根と、かつて訪れたフランス南部地方を重ねた言葉が印象的だ。

 「自分たちの畑で取れたものを食べて、地元で作られたワインを飲んで仲間と楽しく過ごす。パリなどの大都会にはないものがそこにある。地元の人たちはその生活を誇りに思っていた」

 一度しかない自分の人生において、何に豊かさを見出すのか。そろそろ立ち止まって、自分できちんと考えてみませんかと、映画が問いかけてくるようだった。

 浩章さん更沙さん奏多くんに見送られ、JR山陰本線に乗って次の取材地、お隣の山口県萩市へ向かう。初めて乗るこの路線は一時間延々と海沿いを走っていった。途中で乗客が誰もいなくなった。窓を大きく開けてやわらかな潮風にあたり、今日のお話を思い返す。日本海に浮かぶ島々の向こうに沈んでいく美しい夕日を見ているうちに、ぼくが知らない豊かさがまだまだあることを全身で感じた。

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*参考文献
『夢のユニバーサルシアター』(平塚千穂子著、読書工房刊)
映画『高津川』パンフレット(Ⓒ2019「高津川」製作委員会 ALL Rights Reserved.)

信濃八太郎さんプロフ

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