難役が坂口健太郎の“進化”を促す。彼から放出される“言葉を超えた何か”を紐解く

映画ライターSYOさんによる連載「#やさしい映画論」。SYOさんならではの「優しい」目線で誰が読んでも心地よい「易しい」コラム。今回は『サイド バイ サイド 隣にいる人』(’23)で、異能を持つ不思議な雰囲気の主人公を演じた坂口健太郎の魅力を紐解きます。

文=SYO @SyoCinema

 執筆業を行なっていると、時折監督や俳優サイドから「指名」をいただくことがある。そうした瞬間は、飛び上がるほどうれしいものだ。誰かに自分の感性を肯定され、必要とされる喜び――。
 俳優であればオファーが届く状態がそれに当たるだろうが、もう一つ上の「当て書き」という誉れが存在する。「当て書き」とは、演じる俳優を想定して役を書くこと。「あなたのためにこの役を用意しました」というラブコールなのだ。

 今回紹介する映画『サイド バイ サイド 隣にいる人』の坂口健太郎が、それに当たる。伊藤ちひろ監督は、堀泉杏名義で脚本を担当した『ナラタージュ』(’17)の際に小野役で坂口を希望したそう。その後、自身の監督作を構想する際にも「坂口健太郎を撮ってみたい」が企画の出発点だったという。 

 ちなみに、坂口は構想段階から話を聞いており、シナリオハンティング(脚本執筆前に行なう取材)の前後にも、伊藤監督と言葉を交わした。そういった意味では「当て書き」の中でもより親密度が高く、坂口に当てた役どころか、坂口ありきの企画といえる。

 しかし、だからといって彼にとって「演じやすい」役かといえばそうではない。むしろ、坂口に“強制進化”を促すような挑戦作であり、彼のイマジネーションがなければ説得力をもって体現できなかったであろう難役だ。というのも、本作で坂口が演じた未山という青年は「そこに存在しない“誰かの想い”を見ることができる」能力を持つ人物。生霊というべきか、未山だけに見える存在があり、彼はそれらが出現する理由を解決(多くは耳を傾け、癒やす)して日々を過ごしている。

 こうした設定だけでも高い難易度だが、本作で坂口に課せられたタスクはそれだけではない。未山は物静かで、柔らかい物腰の中にも本音が見えない…というより、ないのでは? と思わせるような測れなさがある人物。血肉が通った人間というより“概念”に近いような印象を受ける。「幽玄」であり「空洞」でもあり――役=人物という前提から再検証・再構築しなければならないような、一筋縄ではいかないキャラクターを、肉体で表現する難しさ。この部分を坂口健太郎という俳優は、鮮やかにかつそれと分からぬよう、自然に達成してみせた。

 長野の美しい自然の中に、坂口が立っている。その佇まいを見るだけで、言い知れぬものが立ち昇ってくる。こちらの感性を引き出してくるような物語性とでもいうべきか、実に豊かで、ある種の近づきがたい“おそれ”すら抱かせる。「言葉で表現するのも野暮だね」というレベルからもう一歩踏み込んだ、根源的な感情に触れる存在感――。

 実は本作において、自分は劇場公開時にオフィシャルライターを務めており、チラシの文章段階から関わっていたため幾度となく言語化を行なってきたのだが……どれほど潜ってもたどり着けない感じが消えない。その中心にあるのが、坂口が未山を通して表出させた“何か”なのだ。

 近年の作品でいえば『ヘルドッグス』(’22)での狂犬ぶりや、『余命10年』(’22)での清廉な姿など、作品ごとにその世界に溶け込み、住人として息をしてきた坂口。画面を通して彼を見てきた身としては勝手にナイーブな印象を持っていたのだが、撮影やイベント時の舞台裏、カメラが回っていないときの彼は周囲にフラットに話しかけに行くようなナイスガイで、その明るさと無邪気さに驚いたことを覚えている。

 座長として現場を牽引する立場を幾度も経験してきたからタフなのは当たり前なのかもしれないが、俳優としての表現力の幅を目の当たりにした気がして、「やはりただ者ではないのだなぁ。すごいなぁ」と改めて納得してしまった次第。

 細かい技術を駆使しているに違いないが、それ以上に俳優・坂口健太郎その人の“深み”に溺れそうになる『サイド バイ サイド 隣にいる人』。この映画の坂口から放出される“言葉を超えた何か”はきっと、見た者を幻惑させることだろう。

▼『サイド バイ サイド 隣にいる人』の詳細はこちら

▼SYOによる『余命10年』の坂口健太郎の魅力を紐解くコラムはこちら

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