〈中山功太〉アホみたいにかっこいいロックスターを観て、僕は芸人になることを決意した 【#エンタメ視聴体験記】
文=中山功太
自分にとっての初めてのロックスターは、THE YELLOW MONKEYだった。
高1の頃にカラオケ店のロビーで流れていたライブ映像を観て、一瞬でとりこになった。
あんなに胸がドキドキしたのは、小1の頃テレビで島木譲二師匠を観た時以来だ。
話が島木譲二にそれるが、僕は幼少期に吉本新喜劇を観て芸人になりたいと思った。毎回同じ事をやってくれる、良質なマンネリズムとでも言うべき変わらない面白さに心底のめり込んだ。
島木譲二に出逢ったから芸人になったと言っても過言ではない。
幼い頃に芸人になると決めたのはいいが、思春期にもなると現実が見えてきて「自分みたいな小心者が舞台に立てる訳がない」と諦めかけていた。
そんな折、目に飛び込んできたTHE YELLOW MONKEYのボーカル、吉井和哉さんのステージングが「やはり人前に立ちたい」と思わせてくれた。
今の僕があるのは、パチパチパンチとJAMのおかげだと言っても過言ではない。
かつて自分が、島木譲二師匠のパチパチパンチからポコポコヘッドにハマった時と同様、THE YELLOW MONKEYのアルバムを聴きあさった。
そしてとうとう島木譲二ファンのガチ勢が好むギャグ、スピードハットを欲するがごとく、 吉井和哉さんのエッセイを購入し、夢中で読んだ。
そこで僕は初めて、吉井和哉さんが敬愛するロックスター、デヴィッド・ボウイのことを知った。
周りに洋楽好きの友人がいなかったので、事前に「洋楽ロック名盤100」みたいな本で調べ、最寄りのレンタルショップで、デヴィッド・ボウイの名盤『ジギー・スターダスト』のCDを借りて帰宅し、正座で拝聴した。
正直に言うと、よく分からなかった。
途中からは、あぐらもかいていた。
思えば洋楽を自発的に聴いたのはこの時が初めてだった。
まず、メロディーはいいのに音が悪いと感じた。
1972年の作品だから当たり前なのだが、THE YELLOW MONKEYの方が音質がいいと思った。
そして、何を歌っているのか分からなかった。
英語だから当たり前なのだが、THE YELLOW MONKEYみたいに日本語で歌って欲しいと思った。
何周か聴いてみると、とにかく歌も演奏も素晴らしいのは分かる。
それだけに自分がこの名盤を持て余してるのでは?というモヤモヤで無性に悔しくなる。
どうしても理解したかった僕は、このアルバムについてもっと詳しく書かれていた「70年代ロック名盤」みたいな本を探して読んだ。
数ページにわたって『ジギー・スターダスト』の解説がされていた。そこには以下のように記されていたのだ。
「地球を滅亡から救うためにやって来たジギーという架空のロックスターのアルバム」
「レコーディングメンバーは架空のバンド、スパイダーズ・フロム・マーズ。火星出身」
僕は確信した。「アホや」と。
語弊がないようにしたい。状況にもよるが、われわれ関西人にとって「アホ」は最大の褒め言葉である。「面白い」「すばらしい」「最高」などのニュアンスをすべて含んでいる。島木譲二師匠ももちろん「アホ」である。
『ジギー・スターダスト』のコンセプトを知った上でもう一度、日本語の訳詞を読んでみた。
アホみたいにカッコよかった。
そしてついに、深夜にテレビで放送していた当時のライブ映像を観てしまった。
アホみたいに真剣に演っていた。
完全にハマった。
あんなに胸がドキドキしたのは、小1の頃テレビで島木譲二師匠を観た時以来だ。
正直、THE YELLOW MONKEYを観た時は「人前に立ちたい」とは思ったが、あまりにも影響を受けすぎて、無謀にも「ロックをやりたい」と考えてしまった。
だけど、デヴィッド・ボウイを観た時の感触は違った。設定を決め込んで、奇抜な衣装を身にまとい「アホ」でオーディエンスを熱狂させるそのパフォーマンスは、吉本新喜劇のように魅力的だった。
僕の中では、デヴィッド・ボウイはロック界の島木譲二だ。
才能がなかろうが、度胸がなかろうが、もう関係ない。僕はこの人より「アホ」になりたいと願った。
デヴィッド・ボウイに出逢ったから芸人になったと言っても過言ではない。
『ジギー・スターダスト』を狂ったように聴き、観れるライブ映像は片っ端から借りて観たが、僕はデヴィッド・ボウイについて全く詳しくない。聴いていないアルバムも何枚もあるし、知らない曲も山ほどある。
前置きが長くなってしまったどころの騒ぎではないが、だからこそ、本作を観たかった。デヴィッド・ボウイを深く知りたかった。
今回拝見した『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』はデヴィッド・ボウイのアーティストとしての人生を時間軸通りに追体験できる、ドキュメンタリーである。同時に、ミュージカルであり、アート作品でもある。
デヴィッド・ボウイを初めて観る方は、序盤の珍妙なメイクや衣装・ステージングに度肝を抜かれるかも知れない。
でも、安心してほしい。僕は素直に笑った。
「アホや」と思った。
どのライブ映像やMVも、アホな事を真剣にやっている。
アホみたいにカッコいい。これは笑ってもいいだろう。焼肉やお寿司がおいし過ぎた時に笑ってしまう、あの感覚に近い。
代表作『レッツ・ダンス』をリリースし、大規模なツアーを打った頃の映像と彼の言葉は、本作のハイライトの一つだ。
デビューから音楽的にも、視覚的にも変わり続けてきた彼が「普通のロックスター」になろうとして成功した様子が痛快なのだが、どこか物憂げな言動や表情もうかがえる。
そこに漂うのは、天才バッターがホームラン王になると公言して成し遂げたのに、いきなり手品師になりたいと言い出しかねない危うげな雰囲気。 事実、彼はその後、幾度となく音楽性を変え、ポップと自身とを行き来し、新たな刺激を模索し続けたように感じる。
ジッとしていられない子どもが動き回るように、彼は変わり続ける。
全編を通じて、変わり続ける彼自身の、言葉の根っこが変わらないのが印象的だった。
インタビューに応じる彼は常に真剣で、意地悪な質問をされても決してはぐらかさず、自分の考えをはらわたから引きずり出し言語化するようなすごみがある。笑顔が少なく感じたのはその真面目さゆえかも知れない。
そして本作も終盤になると、当然、彼は老いていく。
ロックスターだって人間なのだから当たり前だ。奇抜なメイクや衣装は鳴りを潜め、いい意味で“ただのカッコいいアーティスト”になっていく。
と思いきや、また誰も思い付かない「アホな」パフォーマンスを平然とやってのける。どれだけ成功しようが、現在地に満足しない彼に感服すると同時に、枯れる事のない意欲に恐怖すら感じた。
そして加齢とともに彼の言葉はより優しく、強くなっていく。
今の自分も過去の自分も正しく肯定し、また、正しく否定する。
大袈裟ではなく、神様が喋っているのかと錯覚した。
本作にも収録されているが、僕がデヴィッド・ボウイで一番好きな楽曲は「Heroes」だ。
同じだというファンの方も多いと思う。ライブでこの曲を求められ過ぎてスネてやらなかった時期があるらしいが、そんな珍しく人間臭いエピソードに少し安心した。
「Heroes」の一節が僕はたまらなく大好きだ。
"変わり続ける"という点について"変わらなかった"デヴィッド・ボウイ。
"変わり続ける"時代の中で"変えなかった"島木譲二。
僕の永遠のHeroesに最大の敬意を表して。
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(クレジット)「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」:©2022 STARMAN PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.