表現者・稲垣吾郎の“生活感のなさ、純度の高い清廉さ、あるいは神々しさ”を、『窓辺にて』から紐解く。
文=SYO @SyoCinema
映画・ドラマ・演劇――“芝居”において、演じ手と観客の間ではある約束が交わされる。「演じ手を役だと信じ込む共犯関係」だ。その物語の中では俳優本人はかき消え、役として認識しようとするものだ。われわれ観客はそれを当たり前のように行なっているが、改めて考えてみると奇妙な話ではある。そこにいるのは、紛れもないその人(俳優)なのだから――。
観客も、俳優も、制作サイドも「イメージ」というものにある程度は振り回される。好青年の印象がある俳優に狂気