北村匠海の絶妙なバランス感覚を考察。演技の中で発揮する“翳り”の存在感のすごさ
文=SYO @SyoCinema
俳優として、ダンスロックバンド「DISH//」のメンバーとして幅広く活躍を続ける北村匠海。2017年の映画『君の膵臓をたべたい』や、2020年にYouTubeの人気チャンネル「THE FIRST TAKE」で披露した「猫」でその実力を多くの人が知るところとなり、ヒットシリーズ『東京リベンジャーズ』('21/続編『~2 血のハロウィン編』2部作は4月21日(金)と6月30日(金)に連続公開)では主演として牽引。今クールのドラマ「星降る夜に」では聴覚障害のある役で印象を残すなど、その勢いは増すばかりだ。
現在25歳の北村の芸歴は15年以上と長く、2008年の映画『ダイブ!!』で池松壮亮、『重力ピエロ』で岡田将生、『TAJOMARU』(共に'09)で小栗旬、『陽だまりの彼女』('13)で松本潤といったそうそうたるメンバーが演じるキャラクターの少年時代を任されてきた。2011年放送のTVドラマ「鈴木先生」の「給食中に異常な行動をとる」屈折した少年役も、北村の表現力あってこそ成立したものといえよう。
俳優とミュージシャンの二足のわらじで活躍する点からもうかがえる通り、北村の強みは守備範囲の広さにあるだろう。『君の膵臓をたべたい』に代表されるようなナイーブなキャラクターは彼の得意とするところだが、『東京リベンジャーズ』や『とんかつDJアゲ太郎』('20)のように明るいキャラクターもこなせて、アニメ映画『HELLO WORLD』('19)や『かがみの孤城』('22)では声の出演も。TVドラマも合わせれば、「どんな性格の役もできる」印象はより強まるはずだ。
ただ、その中でも――これは一観客としての私見となるが、北村匠海は“翳り”を見せたときに観る者をぐんと惹きつけるように思う。どんな人物も演じられる彼から、どろりとした人間味がのぞく瞬間……器用さの先、あるいは奥にあらわになる、繕えぬ生々しさ。『明け方の若者たち』はまさに、そうした彼を堪能できる作品だ。
カツセマサヒコの人気小説を松本花奈監督が映画化した本作は、主人公である「僕」の大学卒業~社会人の日々と、忘れられない恋を描いていく物語。ざっくり言うと「恋」と「仕事」が同時並行で進行していく物語だが、キラキラと爽やかな要素よりもダウナーなトーンが際立つ。そうしたほの暗く、痛みがむき出しの本作において、北村は水を得た魚のごとく躍動しているのだ。
そもそも本作の強みは、受け手(読者/観客)が、自分自身が歩んできた人生と重ね合わせて共感・共鳴できる部分にある。過去を思い出す人もいれば、現在進行形の人もいるだろうが、両者ともに「自分も同じ気持ちだ/だった」と思えることで、物語や登場人物に没入できる。同時に、個人の私的な思いを丁寧に落とし込んだ作り手たちの手腕に惚れ込んだり、(本稿ではネタバレ防止のため触れないが)その先にある物語的な仕掛けに驚いたりする。
となれば、主人公に求められるのはさまざまな人と重なる要素を有していること。物語を引っ張る存在でありつつ(それ相応の魅力がなければならない)、普遍性や“何者でもない感じ”が必要だ。このバランス感覚は非常に難しいのだが、北村はいわゆる“普通の人”感を出すのが抜群にうまい。
『明け方の若者たち』は、東京・明大前駅を「僕」が歩いているシーンから始まる。まずこの時点で、風景との溶け込み具合が半端ではない。その後、彼は就職内定者たちの飲み会に参加するのだが、その所在なさ含めて完全に周りに紛れてしまっている。カメラは北村の姿を中心に映しているのだが、彼が演じる「僕」はこの会の主役ではなく、いなくなっても気付かれないだろう――ということが一目で分かるのだ。
本数を重ねキャリアが増していくほど、一般人を演じるのは難しくなっていくもの。オーラが隠せなくなってしまうし、観る側も「有名俳優が一般人を演じている」感覚をかき消すのに苦労する。しかし北村においては、その“常識”が当てはまらない。話し相手がいない居心地の悪さ、人と目を合わせられず基本下向きの目線、パーソナル・スペースを守るような姿勢、表情のぎこちなさや呼吸に至るまで完全に人見知りのそれで、俳優のデータが登場人物を上回ってしまう序盤において、観客を「これは自分(側の人間)だ」という気にさせてしまう。だからこそ信頼が生まれ、その先の彼の個人的な人生にも興味を持てるのだろう。
強力なキャラクターで引っ張っていく作品は、観客にとっては「憧れ」のような「あくまで他者である」という感覚が生じる。対して『明け方の若者たち』のように観客の人生と接点の多い作品においては、登場人物も現実ベースで構築していく必要がある。 つまり、「われわれの中からたまたまスポットが当てられたひとり」であると思えるかどうかが生命線なわけだが――本作での北村は、まさにそれを体現している。
仕事面では希望の部署に入れず、配属先で仕事上の理不尽に苦しみ「うまくいかない」人生に青息吐息状態。恋愛面では相手の一挙手一投足に浮かれたり情緒不安定になったり、自分が主導権を握れず振り回されてばかり。そうした「僕」の「自分の人生の主役なのに主役じゃない感」を絶妙に肉体化してくれる。
その点において、興味深いのは北村の「紛れる」「隠れる」引きの演技のうまさ。黒島結菜演じる「彼女」や井上祐貴扮する友人・尚人の前に出ることをせず、2人が放つ光を利用して自身の存在感を薄めているのだ。もちろん一つ一つのシーンには監督の演出も含まれているだろうが、相手に進めさせたり合わせたりする空気感のつくり方しかり、彼の演技の“技術力”を感じずにはいられない。
北村は、本作の他にも『さくら』('20)、『とんび』(’21)、『スクロール』('22)といった映画でいずれも優れた“翳り”の存在感を発揮しているが、これらの作品でも共演者のオーラを際立たせるアシスト的な動きをしつつ、物語の主体(語り手)は自分が務めるという役割を担っている。要は、作品や人物関係の構造的に、自分が翳りを出すことで映えるようなポジション取り。サッカーで例えるなら、目立つセンターフォワードの裏からゴールを狙うシャドーストライカー的なクレバーな演技が光る。考えてみれば、『東京リベンジャーズ』でも濃いキャラクターに囲まれながら、喧嘩の腕でなく心で戦う「泣き虫ヒーロー」を演じており、この構造も同様だ。
そうした北村のテクニックが凝縮された『明け方の若者たち』。本作を観てから別作品に戻ると、また違った見え方になることだろう。
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クレジット:©カツセマサヒコ・幻冬舎/「明け方の若者たち」製作委員会