“そこに在るだけで物語る”菅田将暉。『百花』での難役をこなした彼を紐解く

映画ライターSYOさんによる連載「#やさしい映画論」。SYOさんならではの「優しい」目線で誰が読んでも心地よい「易しい」コラム。今回は、『百花』('22)で認知症の母親に対する反応を、演技と感じさせない“受けの演技”で表現し切った菅田将暉の魅力を紐解きます。

文=SYO @SyoCinema

 菅田将暉という俳優は、恐らく日本映画史においてもまれなタイプなのではないか? と勝手ながら感じている。日本を代表する人気俳優のひとりであり、音楽活動も精力的に行ない、ラジオパーソナリティーとしてのトーク力も一流。さらに、漫画などの作中の会話で「好きな俳優」として名前が挙がるほど広く認知されている。属性だけ見れば完全にスターなのだが、どうも飾るところがない。そしてそれが故に、市井の人にするりと成り切れてしまう。『花束みたいな恋をした』('20)はまさにその好例だが、「スターが庶民を演じている」というノイズを感じさせず、生活感を担保し続けられているのは彼の大きな武器といえるだろう。

 キャリア初期から『共喰い』('13)、『ディストラクション・ベイビーズ』『溺れるナイフ』(共に'16)、『あゝ、荒野』前後篇(共に'17)といった強烈な描写が目立つ作品に継続的に出演しているのも特徴的だが、ぶっ飛んだ登場人物に体を提供したり物語世界に身を置いたりしても、彼自身に“生活”を感じられるため、どこか安心できる。それは菅田将暉独自の芯であり、この先も揺らぐことはないのだろう。そうした特性が遺憾なく発揮されているのが、人気プロデューサーの川村元気が自身の小説を映画化した長編初監督作『百花』だ。

 菅田が本作で演じたのは、認知症が進行していく母親(原田美枝子)に戸惑う息子・泉。題材的に虚構性が強くなるほど台無しになりかねないところで、菅田の“地に足がついている感”が非常に効いている。しかもこの映画、過去と現在を行き来するというなかなか複雑な構造になっているため、観客であるわれわれは菅田を“ガイド”に作品を追っていくことになる(母・百合子は現実と妄想が混濁しているため)。そうした意味でも、観客が主人公の泉に対して信頼関係を築けるかどうかは生命線といえるが、菅田将暉はまさに適任だ。

 『百花』は序盤から、百合子の認知症の症状が悪化していき、泉が振り回されるさまがじっくりと描かれていく。そこで「演じている感」が出過ぎてしまうとどうしても作り物に見えてしまうのだが、はぐれた母を捜しに行き、見つけて安堵したと思ったら急に抱きつかれて恐怖に近い戸惑いを覚える冒頭シーンからしてみごとだ。声にこそ出さないが、生々しいまでの負の感情が渦巻いていることがびりびりと伝わってくる。

 つまり、本当にそう「反応してしまった」ように見えるということ。この予定調和感のなさが、菅田は実に秀でている。認知症をホラー的に描いたフロリアン・ゼレール監督作『ファーザー』('20)やM・ナイト・シャマラン監督作『ヴィジット』('15)の不穏な雰囲気にも通ずる、家族が変わっていく際に悲しみ以上に感じてしまう“気味悪さ”のようなものが、どろりと画面に溶け出しているのだ。

 そしてまた、認知症を描く作品は、発症した本人と周囲の人間のギャップがドラマ性を生み出していく。『ファーザー』でいうところの認知症になった父親(アンソニー・ホプキンス)とその娘(オリヴィア・コールマン)の関係性がまさにそれだが、『百花』においては原田美枝子の演技に対して菅田将暉がどう“受ける”かが見どころの一つ。

 そういった意味で、先に述べた“反応”の解像度の高さが肝要になってくるが、母の行動に引いてしまう冒頭シーンに始まり、妻(長澤まさみ)に言われた「お母さんは一緒にいたいんじゃないかな」という言葉にしばしの沈黙とそれに続く一言、医師の診断を聞く時の絶望感たっぷりの表情、母を海沿いのホームに入居させ、逃げるようにバスに乗る際の後ろめたい顔の硬さ、認知症が進んだ母との通じない会話に対する諦念など、瞬間的な反応だけでなく自分が直面する問題に対する“態度”のにじませ方が絶妙だ。

 考えてみれば、菅田はうつを患う恋人に振り回される編集者に扮した『生きてるだけで、愛。』('18)でも耐えて耐えて爆発してしまう“受け”の熱演を披露していたし、Fukase演じる殺人犯に追い詰められる漫画家を演じた『キャラクター』('21)でも巻き込まれ感が絶妙であった。『共喰い』しかり、 “事件”を起こす人物に対する恐怖や戸惑い、苦痛をビビッドに表出する術にたけているのは、これまでの作品で証明済み。自分より弱い人間を支配しようとする“小物”を演じた『ディストラクション・ベイビーズ』も矛先が羨望に変わっただけで、柳楽優弥扮するクレイジーな青年に遭遇した際のパニックがあってこそ、その後の“変わり身”が効いていた。

 『百花』はそうした“反応”や“態度”に加えて、「過去の思い出がフラッシュバックする」という役割もこなさねばならず、難易度が高い。幼少期に母が犯した罪を問い正すシーンなど、過去の蓄積が母と子の間に溝を生んでしまったことに説得力をもたらせる“つながり”の演技も必要になる難役だが、菅田が本作で見せる一挙手一投足が、観客がシームレスに受け入れられるレールを敷設している。

 「俳優はそこに在るだけで物語る」とはその表現力を示す際によく使われる言葉だが、『百花』の菅田将暉はまさに、その体現者ではないか。

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▼『百花』の詳細はこらち

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クレジット:©2022「百花」製作委員会

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