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#エンタメ視聴体験記

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WOWOWの多岐にわたるジャンルの中から、書き手が今見たい作品を見て“視聴体験”を綴る、読んで楽しい新感覚のコラム連載。お笑い芸人の中山功太さんとぼる塾・酒寄希望さんを書き手にお…
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#中山功太

初期衝動で芸人の道を歩んできた僕が、小林聡美さんのコンサートに一流の神髄を見た【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  2002年にピン芸人として初めて舞台に立ってから、20年以上の歳月が流れた。  本来コンビでコントをやりたかった自分にとっては、右も左もわからない状態で、とりあえず始めたピンネタだったが、今でも新ネタを作り続けている。  何年やってもネタの作り方の正解はわからないが、デビュー当時のネタは本当に無茶苦茶だった。  それも、ライブハウスのマスターが「あのバンドは若い頃ホント無茶苦茶だったよ」と笑みをこぼして懐かしむタイプの美談ではなく、普通に無茶苦茶だった。

わからなくても自由に感じればいい― 芸術を知らない僕の魂を揺さぶった衝撃の66分【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  一般的に十二分に大人である44歳になったが、今の今まで芸術という物に能動的に触れた事がなかった。  音楽を聴くのは大好きだが、古いパンクやロックが多い。  古いパンクやロックの人達は、きっと芸術扱いされる事が嫌いだろう。  映画は芸術だろうか? 芸術的な映画は沢山あるだろう。  しかし「これはアートだ」と大風呂敷を広げて柿ピーだけ包んで縛った様なオシャレ映画に興味はない。  今回取り扱う作品「ダムタイプ pH」は今までこのコラムの為に視聴した作品の中で

人は自分の為じゃなくても泣けると僕に教えてくれた、韓国の名作映画で過去イチ号泣【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  ご存知の方もいるかと思うが 「人は自分の為にしか泣けない」という仮説がある。  家族や友人など、大切な人が亡くなった時も「大切な人を失った自分が可哀想だから泣く」のだそうだ。  果たして本当なのだろうか?  「感情以外の涙は違うはずだ」という屁理屈で打ち破るべく検証してみたい。  あくびした時の涙。これは人体の構造上、勝手に流れる涙だ。自分の為に泣いてはいないのではないか?  しかし僕は、単独ライブのネタ作りなどであまりにも眠い時、あくび泣きの後に歯を食

数限りないタクシーの思い出と優しくて面白い極上の娯楽映画『TAXi』【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  忘れられない言葉がある。  昔、大阪で活動していた頃、先輩の麒麟田村さんが興奮気味にこう述べたのだ。 「タクシーって凄くない? 手挙げたら停まってくれて、乗せてくれるねんで? 優しすぎるやろ?」  田村さんが心優しい方だとはいえ、目から鱗すぎた。  僕には、タクシーが優しいという発想はなかった。 「高倉健さんの写真集のタイトルとは?」という大喜利お題の田村さんの回答「フォト倉健」と共に、今でも脳裏に焼き付いている。  芸人は、実に頻繁にタクシーに乗る

THE YELLOW MONKEYは永久に不滅だと、東京ドームで確信した夜【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太 <本文でライブのセットリストや具体的な内容に触れています。ご注意ください>  自分にとっての初めてのロックスターは、THE YELLOW MONKEYだった。  高1の頃にカラオケ店のロビーで流れていたライブ映像を観て、一瞬でとりこになった。 本連載の『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』の回でも書かせていただいたが、僕にとってTHE YELLOW MONKEYは特別なバンドであり、唯一無二の存在だ。  2024年4月27日、僕は東京ドームに

いつまでも少年漫画に心惹かれる中年芸人の僕が、傑作アニメを観て思い出す中二の初夏の出来事【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  幼い頃からずっと、少年漫画が大好きだ。  中年実写となった今でも、少年漫画を読んでいる時だけはあの頃の気持ちに戻れる。  4つ歳上の兄の影響もあり、特に週刊少年ジャンプが好きだった。  四半世紀以上も前のことだが僕が中学生の頃、月曜日に発売されるジャンプを土曜日に読める謎のルートを持った、S君という野球部の同級生がいた。  中学二年の初夏。  誰もが楽しみにしていた「DRAGON BALL」の最新話を読んだ彼は、街中を自転車で練り走りながら叫んだ。  「

何度でも観たくなるカッコいいシーンが満載!“最強”の韓国アクション映画を芸人の僕が全力でプレゼン!【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  断言してしまうが、男はみな最強が好きである。  幼い頃からおびただしい人数の男と会話をしてきたが、統計学的に見ても間違いない。  「○○しか勝たん」や「○○で優勝してきた」といった日本語の乱れを憂いている僕も、最強だけは大好物だ。  格闘技において「相撲立ち技最強説」という仮説がある。  最強の正しい使い方ではあるが、こんなにロマンに満ちた言葉はそうそう無い。格式高い大相撲こそがバトルにおいても最強である、なんてあまりにも格好良すぎる。  また、Y

ファッション大好きだけどダサい僕をとりこにしたデザイナーたちの華麗なる“デスゲーム”【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  僕にはファッションセンスがない。  おそらく芸人でもトップクラスのダサさだと思う。  僕の事を知って下さっている読者に「いやいや、そんな事ないですよ」と言って欲しいから書いてる訳ではなく、正式にダサい。色や柄の組み合わせもわからないし、流行にも疎い。  面倒臭いからという理由だけで、10年前からパンツの裾直しもやめた。  ではファッションに興味がないのかと言われるとそうではなく、服も靴もめちゃくちゃ好きだ。  多分、オシャレな人と同じぐらいか、それ以上に

嫌味しかない僕の心をすっかり浄化させた、本場フィンランドのサウナを満喫する磯村勇斗の爽やかさ 【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  家の風呂が嫌いだ。    家の風呂に入る意味がわからない。  家庭用バスタブ業者やシャワーヘッド業者の方には本当に申し訳ないが、僕は入りたくない。    よくバラエティ番組で、俳優やタレントが「私ホントお風呂入らないんですよ~」と言って意外性を見せて最速で売れようと張り切ってるシーンを目にするが、厳密に言うとあれは嘘だ。  湯船に浸からないだけでシャワーは浴びているはずだ。    僕は違う。    冬はシャワーも浴びない。  ウェットティッシュで要所を拭き取

狂おしいほど猫が好きな芸人の僕が見つけてしまった、誰もが“猫沼”にハマるヤバすぎな番組 【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  猫が好きだ。猫が好きでたまらない。猫の事を考えるだけで口角が上がる時さえある。  僕が小学5年生の頃のとある日、4つ年上の兄が突然野良猫を拾って帰って来た。  白と茶色がまだらになっている雑種丸出しのブチだった。相当な赤子猫だったと思う。    「可愛かったから」というプレーンな理由で連れ帰った兄だったが、両親は飼う事を猛反対した。  無理もなかったと思う。  なぜなら我が家では、今までカブトムシ以外、何も飼った事がなかったからだ。いきなり猫はスキル不足に

「フランス映画か!」という“ありがちなツッコミ”について、フランス映画の傑作を観て深く考える【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  今の今までフランス映画を観た事がなかった。    厳密に言うとテレビで深夜に観た事があるのかも知れないが、たまたまチャンネルを合わせていただけの「推定フランス映画」をチラ見した程度だと思う。    お笑いにおいて「フランス映画か!」というニュアンスのツッコミが昔から重宝されている。大抵、ボケの人がダラダラと長尺で難解な発言をした後に放たれる事が多い。  その事実からも分かる様に、よほどの映画好き以外は、以前の僕も含めてフランス映画に良い印象を持っていないの

普通のお父さんの奮闘劇を観て思う、“普通じゃない”僕のお父さんの事【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  自分の父親について考える度に、僕は自分の中でジャンル分けできない感情になる。  父親は若い頃から狂ったように働き、祖父から受け継いだ木工所を株式会社にし、二代目社長として国内外に沢山の工場を建て、ソファーベッドの製造販売を行っていた。  父親は基本的にはソファーもベッドも作らなかった。闇雲にソファーベッドだけを作り続けた。  中学生の頃、会社のパンフレットを見ながら父親に、なぜソファーベッドしか作らないのか? と、聞いた事があったが、少し照れたように笑

貧困に直面する芸人の僕が“貧困女子”のリアルを垣間見た【#エンタメ視聴体験記/中山功太】

文=中山功太  僕は2010年に上京してから現在に至るまで、途切れる事なく貧困状態である。人ひとりが抱えられる限界ほどの借金もある。  一番苦しかったのは2014年頃だったろうか。この豊かな国、日本において、ガス・水道・電気、全てが止まり、食糧がゼロになり空腹に耐えきれず、腹をどついて寝た夜がある。なぜ腹をどついたかと言うと、僕は、満腹とは内側からの胃の刺激だと考えているからだ。空腹を外側から満たすには、腹をどついて胃を刺激する以外の手段はないのである。ダイエット中の方は

〈中山功太〉アホみたいにかっこいいロックスターを観て、僕は芸人になることを決意した 【#エンタメ視聴体験記】

文=中山功太  自分にとっての初めてのロックスターは、THE YELLOW MONKEYだった。  高1の頃にカラオケ店のロビーで流れていたライブ映像を観て、一瞬でとりこになった。  あんなに胸がドキドキしたのは、小1の頃テレビで島木譲二師匠を観た時以来だ。  話が島木譲二にそれるが、僕は幼少期に吉本新喜劇を観て芸人になりたいと思った。毎回同じ事をやってくれる、良質なマンネリズムとでも言うべき変わらない面白さに心底のめり込んだ。  島木譲二に出逢ったから芸人になったと言